如月千早
子供の頃の記憶というのは曖昧だ。私は弟とは仲良しで、喧嘩など1度もしなかった。
如月千早
何かの折に最近ようやく話せるようになった母にそう話すと、それは違うとはっきり否定された。
如月千早
あなた達は小学生になる前ぐらいまでは喧嘩もしていて、特に私がよく泣かせていた、と。
如月千早
それで思い出したのがランドセルだ。私は青が良かったのに、女の子だからと赤にされた。
如月千早
数年後に弟が黒のランドセルを背負ってるのを羨ましがって、八つ当たりしたのを覚えている。
如月千早
「それで色々思い出したんですけど、私って結構意固地な子だったんですよね。」
音無小鳥
「どういう意味?」
如月千早
「危ないからとか出来ないから、なんて言われると余計ムキになってやりたがってたんです。」
音無小鳥
「あはは、子供らしくて可愛いじゃないの。」
如月千早
「そうでしょうか?単に偏屈な子供だったようにも思いますけど。」
音無小鳥
「子供の頃はそういうものよ。止められると余計やりたがるのは好奇心が強いからよ。」
音無小鳥
「今だってそうでしょ?色んな事に挑戦したり、レッスン徹底的にやってるじゃない。」
音無小鳥
「千早ちゃんのは意固地じゃなくて、負けず嫌いって言うの。プロ根性の現れよ。」
如月千早
…物は言いようというが、この人は私が悲観的な事を言うといつもこうだ。楽観的と言おうか。
如月千早
もしかすると私がこんな考え方だから、そんなふうに言ってるのかもしれないけれど。
如月千早
この見方に救われた…と言えば大袈裟だが、それで落ち着けるようになった事は少なくない。
音無小鳥
「まあ駄目と言われるとやりたくなる気持ちは分かるわよ、私もつい律子さんの目を盗んで…」
如月千早
「音無さん?」
音無小鳥
「じ、冗談だってば。さぼったりなんかしてないわよ?」
如月千早
私が彼女につい愚痴めいた事を言うのは、こんなやり取りをして欲しいからなのだろう。
如月千早
この人に会えて良かったと思えるのはこんな時だ。そして、私以上にそう思っているのが…
音無小鳥
「あ、プロデューサーさん…あ、お仕事の時間ですね。それじゃあ千早ちゃん、頑張ってね?」
如月千早
「はい、行ってきます。ありがとうございました、話聞いていただいて。」
音無小鳥
「どういたしまして。ってほんとに聞いただけだけどね。いってらっしゃい。」
如月千早
傍からお互いを見ていると、呆れる程ぎこちなく振舞っている。
如月千早
私が気付くぐらいだ。2人が好き合っている事ぐらい、とっくに皆知っているというのに。
如月千早
私達に遠慮しているのか、それとも何か理由があるのか。とにかくこの2人に進展は無いようだ。
如月千早
「恋愛、か…」
如月千早
プロデューサーにそういう感情はない。頼りになる教師か、兄のようには思っているが。
如月千早
けれども、本音を言えば恋愛というものを知ってみたいという気持ちが全く無いとも言えない。
如月千早
アイドルがそんな事を思うのは駄目だと、分かってはいるのだが。
如月千早
「…駄目?」
如月千早
ふと、先程の音無さんとの会話が甦る。
音無小鳥
「駄目と言われると、余計やりたくなるものなのよね…」
如月千早
…
如月千早
そう。私はアイドルだから。相手には好きな人がいるのだから。
如月千早
だから、駄目だ。だから、我慢しないと駄目だ。
如月千早
「駄目、なのよね…」
如月千早
…思い出す。弟のランドセルを羨ましいと思った事。姉だから我慢なさいと言われた時の事。
如月千早
そうした昔の出来事を思い出していくうちに。少しだけ、ほんの少しだけではあるけれども。
如月千早
「何か」が私の中に湧き上がって来ている、それがはっきりと分かった。
如月千早
そして。それは、私の心を捉えて離そうとしないだろう、という事も。
(台詞数: 42)