横山奈緒
私が七尾百合子という人物を意識し始めたのはいつ頃だったか。
横山奈緒
かの刺激的な論文が、アメリカの某科学協会の刊行する雑誌に取り上げられた時か。
横山奈緒
それとも真壁瑞希の名を降し、彼女が『我が社創設以来の才女』という称号を手にした時か。
横山奈緒
どちらでもあるが、どちらとも言えない。
横山奈緒
それぞれが小さなファクターでしかなかったのだ。その時は。
横山奈緒
彼女――七尾百合子を留意するようになったのは、
横山奈緒
二人で話をした、あの帰り道からだった。
横山奈緒
――――――
七尾百合子
「奈緒さんは、塔についてどうお考えですか?」
横山奈緒
「また塔かいな……。瑞希もやけど随分とお熱やなぁ」
七尾百合子
「当然です。科学者ですよ? 熱がなければ出来ません」
七尾百合子
「逆に私は、そんな奈緒さんが不思議でならないんです」
横山奈緒
「私?」
七尾百合子
「あなたの底意ですよ」
七尾百合子
「交友関係を築き始めてはや数ヶ月。あなたの行動は極めて自由奔放、自在不羈なものです」
横山奈緒
「それが私やからなぁ」
七尾百合子
「ですが瑞希さんは言っていました。『横山さんは私の尊敬する好敵手だ』って」
横山奈緒
「はあ、そうなんか?」
七尾百合子
「私、瑞希さんを尊敬してるんです。その瑞希さんが好敵手と謳う奈緒さんにも俄然興味が湧いて」
横山奈緒
「わかった。わかったから、耳元で叫ばんといて……?」
七尾百合子
「こほん、失礼しました。要するに、あなたのことが気になるんです」
横山奈緒
「左様か」
七尾百合子
「奈緒さん……今一度問います。塔について、あなたの考えをお聞かせ願えますか?」
横山奈緒
「せやなぁ。ぶっちゃけ無理やと思う」
七尾百合子
「無理? 無理というと?」
横山奈緒
「理想は実現せんやろなーて」
七尾百合子
「何故です?」
横山奈緒
「ずばり、勘やな」
七尾百合子
「……はい?」
横山奈緒
「勘や。それ以上も以下でもあらへん」
七尾百合子
「……」
横山奈緒
「どこ行くん?」
七尾百合子
「私用を思い出しました。今日はここで失礼します」
横山奈緒
「……」
横山奈緒
「ほんま、ギラついた目しおってからに……」
横山奈緒
――塔に執着する人間は科学者のみならず多数いる。
横山奈緒
理由を問えば、より輝かしい未来を望むが故、と多くは答えるだろう。
横山奈緒
しかし、決してそれが全てではない。
横山奈緒
中には人類の総意だとか、神への叛逆だ。と真顔で勘違い甚だしい言を並べる輩もいるのだ。
横山奈緒
悍ましい。ただただ思った。
横山奈緒
私は臆病だ。臆病だからこそ危惧していた。
横山奈緒
『塔』という蜜言は着実に人々の心を侵食し、過剰に"一時的な"知恵を与えている。
横山奈緒
七尾百合子……あの目は私が悍ましく感じた人間の目と同じだ。
横山奈緒
その時、確かに気付いていた。気付いていた筈なのに――。
横山奈緒
「……えっか。帰ろ」
横山奈緒
見ぬふりをして踵を返した。
横山奈緒
良心というものが誰の心にも宿っている、と完全に思い上がっていた。
横山奈緒
もしもあの時、立ち止まって一考していれば。
横山奈緒
若しくは百合子に"何か"をしていれば――
横山奈緒
悲劇は起こらなかったのかもしれない。
(台詞数: 50)