七尾百合子
家に帰ると、犬小屋の前に布が被せられた膨らみがあった。
七尾百合子
身動き一つしないその顔は、歯茎がむき出しで苦しそうに見えた。
七尾百合子
普段は垂れた耳が立っていたからそっと寝かせた。毛に包まれた耳は少し冷たくて、硬かった。
七尾百合子
指先で頭を撫でる。普段はまつ毛に触れるとまぶたをケイレンさせるのに、何の反応もない。
七尾百合子
目の上が窪んでいる。ああ、こんな形の骨だったんだ。
七尾百合子
目の中の光がちらりと動く。呼吸が止まる。
七尾百合子
どうやら通り過ぎる車のライトが写っただけのようだった。
七尾百合子
触れているのがだんだん怖くなって立ち上がる。
七尾百合子
手を合わせて二つ、三つ言葉をかけた気がするが、内容は覚えていない。
七尾百合子
犬の下を離れ、扉を閉める。 鍵をかける。一瞬だけ、胸を何かが駆けた。
七尾百合子
手を洗った。自室に戻る途中で、不十分な気がしてもう一度洗った。
七尾百合子
ベッドに座り鞄を開くとコンビニで買ったアイスが溶けていた。
七尾百合子
食欲は湧かなかったが、もったいないから食べた。
七尾百合子
美味しかった。世界はそう簡単には変わらないのだと思った。特に、犬が一匹死んだ程度では。
七尾百合子
シャワーを浴びた。寒さで我に返ると、自分から落ちる水滴を眺めていたことに気付いた。
七尾百合子
いつの間にかシャワーは止んでいた。腹が冷えて、アイスを食べたことを後悔した。
七尾百合子
翌朝、玄関へ向かう足が止まる。昨晩お別れを告げたのにまた見なければならない。
七尾百合子
扉を開ける。今日は思っていたより冷えるらしい。
七尾百合子
犬の口元を蟻が這っている。 こんなに蟻を汚らわしく思ったのは初めてだった。
七尾百合子
頭をぽんぽんとたたく。木材のような感触だった。
七尾百合子
もうとっくに覚悟していたから、最後は笑ってお礼を言おうと思った。口角が歪むだけだった。
七尾百合子
家に帰ると、その場所には何もなかった。家族が片付けたらしい。
七尾百合子
なにも知らない人が見たら、そこに何もないことに気付かないだろう。
七尾百合子
私はあったことを知っているから、なにも無いと気づく。
七尾百合子
家庭菜園の野菜に水をやる。 思えば2,3日ほど忘れていた。
七尾百合子
茄子のしおれた葉から水滴が零れ落ち、土を黒く染めていく。
七尾百合子
じょうろの中に水が余ってしまった。
七尾百合子
この時期になると犬はいつも日陰にこもり、舌を出していたのを思い出す。
七尾百合子
犬小屋のあった場所にそっと水をまく。表面の土が塗り替えられる。
七尾百合子
ふわりと、獣の臭いが漂った。
(台詞数: 30)