夜が迫る
BGM
恋花
脚本家
mayoi
投稿日時
2014-04-12 20:15:41

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七尾百合子
腹が張った犬。獣医学には疎いが、恐らく肝臓がやられたのだろう。
七尾百合子
散歩中、犬を貰ってきたばかりの頃を思い出す。怖がる子犬を強引に連れ出してはすぐ帰る日々。
七尾百合子
元気盛りの頃、きまぐれに引っ張られるがままだった。今は私の少し後ろを歩く。
七尾百合子
好きな所に行かせてあげたかった。でももうこの散歩紐が主張することはない。
七尾百合子
美味しいものを食べさせてあげたかった。なのにすぐに吐き出してしまう。
七尾百合子
自己満足でいい、望みを叶えてあげたかった。そんな私には、足並みを揃えることしか許されない。
七尾百合子
育てるとはこういうことだったのか。保護欲を堪えて、ただ見守る。死に際を前にようやく気付く。
七尾百合子
この散歩紐を離して、死に場所くらいは選ばせてあげようかとも思った。
七尾百合子
だがそれなら、そもそもここに縛り付けるべきではなかった。私が、この子を自然に帰れなくした。
七尾百合子
見てられなかった。震える声を抑え、 もう帰ろうと、私が言う番だった。
七尾百合子
道行くおじいさんに声をかけられる。力強そうな犬ですね。丸々と張り出た腹がそう見えたのか。
七尾百合子
何と言う犬ですか。○○です。ああ、いや、犬種は。雑種です。はあ、雑種ですか。
七尾百合子
興味を無くしたのか、愛想笑いで立ち去るおじいさん。違う、元から興味などないのだ。
七尾百合子
少し寂しく感じた。私だけは、この子を忘れたくない。
七尾百合子
前の犬が死んだ時も沢山泣いたのに、今その心境を正確に思い出せない。そうして忘れていくのか。
七尾百合子
若い頃、ゲンコツを甘噛みする癖があったのを思い出す。試してみるが、顔を背けるだけだった。
七尾百合子
昔とは違うリズムの鼻息が聞こえる。少し、何かが引っ掛かるような音だった。
七尾百合子
犬がちらりと、こちらの顔を窺うように見た。その目に不安な色を見た気がして、頭を撫でる。
七尾百合子
足や口元の毛色が薄くなっていた。手付かずのドッグフード。これでは体力が持つはずもない。
七尾百合子
大人しく撫でられる犬が身動ぎする度に、心臓が跳ね上がりそうになる。不安な心を隠しきれない。
七尾百合子
この間にも、私の中に様々な感情が浮かんでは消えていく。多分、言葉に出来ているのはその一部。
七尾百合子
気付くと犬がこちらの顔を覗き込んでいた。今度はじっと、目をそらさずに。
七尾百合子
ああ、この目を私は知っている。行かないでという目。今まで何度も、私が裏切ってきた目だ。
七尾百合子
私にもすべきことがあった。犬とは関係なく。だから傍を離れる。
七尾百合子
振り返らないと決めていたのに、扉を閉める直前につい見てしまった。やはりあの目をしていた。
七尾百合子
今の私に出来ることは、すべき事を早く済ませて、少しでも傍に居てあげること。たったそれだけ。

(台詞数: 26)