舞浜歩
「そういえば、こっちではイエクリをしないんだったな」
高山紗代子
耳慣れない言葉に足を止める。
高山紗代子
振り向くと先ほどまで隣を歩いていた歩さんが足を止めていた。
高山紗代子
「すみません、上手く聞き取れなかったんですが……。イエオクリ、ですか?」
舞浜歩
「あってるよ。イエオクリ」
高山紗代子
歩さんは優しい口調で答えると、視線を元に戻した。
高山紗代子
「……空き家、ですね。もう何年も誰も住んでいないみたいですけど」
高山紗代子
木造の平屋建て。
高山紗代子
玄関前の電球は割れ、赤かった郵便受けには日焼けした広告が突っ込まれている。
高山紗代子
玄関と門の間の小さなスペースには自己主張の激しい野草が青々と立ち塞がっている。
舞浜歩
「アタシの地元だとさ、こういう家はイエオクリをするんだよ」
高山紗代子
そう言って、歩さんは道端のねこじゃらしを手に取り、くるくる回し始めた。
舞浜歩
「まず、生え切った草を全部刈り取るんだ。庭も、玄関も、全部」
舞浜歩
「次にドアと窓を全部外す。壊すんじゃなくてね」
高山紗代子
「……全部、ですか?」
舞浜歩
「ああ、玄関も勝手口も寝室も。もちろんトイレもだ。納屋があるならそのドアも」
舞浜歩
「で、全部家の中にいれて、一枚一枚重ならないように並べていく。廊下や部屋にね」
高山紗代子
頭の中でその様子を想像する。
高山紗代子
床一面に広げられたドアと窓。まるで……
高山紗代子
「まるで……、床下から誰かが出てくるのを待っているみたいですね」
舞浜歩
「……ちょっと、違うかな」
高山紗代子
歩さんはねこじゃらしの茎を折った。
舞浜歩
「家を建てる前ってさ、神主さんを呼ぶだろ」
高山紗代子
「地鎮祭ですね。土地の神様に使うことを許してもらう」
舞浜歩
「イエオクリは逆なんだ。もうこの家には誰も住みませんってね」
高山紗代子
なるほど、土地の神様にありがとうを伝えるわけだ。
高山紗代子
「床にドアや窓を敷くのも、神様に出てきてもらうための作法なんですね」
高山紗代子
……私の答えを聞くと歩さんは地面をじっと見て、首を横に振った。
舞浜歩
「……逆だよ。出てこないようにするんだ」
高山紗代子
歩さんが空き家に向かってねこじゃらしを放り投げる。
舞浜歩
「最初に草を刈るって言っただろ?その草はどうすると思う」
高山紗代子
「それは……ごみとして捨てるんじゃ」
舞浜歩
「……床に敷いたドアの上に敷き詰めるんだよ、油を撒いてね」
高山紗代子
ツンと鼻の奥が痛んだ。
舞浜歩
「庭や玄関に生えた草はそこで生まれた命で、刈られた草はそこで死ぬ」
舞浜歩
「それを出入り口になるドアの上に敷く。死体でドアを抑えるようなもんだよな」
高山紗代子
「……草を敷いた後はやっぱり」
舞浜歩
「燃やすよ。家ごと全部、ね」
高山紗代子
弱い風が吹いた。空き家を塞ぐ野草がゆらりと揺れる。
舞浜歩
「変な話しちゃったな。さ、事務所に戻ろうぜ」
高山紗代子
歩さんが歩き出す。私は空き家をじっと眺めてから、すぐに後に続いた。
高山紗代子
「……ひとつ、いいですか?」
高山紗代子
前を行く歩さんの背中に語り掛ける。
高山紗代子
「その……イエオクリをしなかったら、どうなるんでしょうか?」
舞浜歩
「……アタシが知っているのは」
舞浜歩
「環が住んでいた村も昔はイエオクリをやっていたこと」
舞浜歩
「……そして、環が生まれた年ぐらいに失敗したことがあるらしいってこと、かな」
高山紗代子
確か、環ちゃんって地元では友達がいなかったって……
高山紗代子
私は足を止めて、先ほどの空き家を振り返る。緩い風に乗った草いきれが鼻をつく。
高山紗代子
空き家からぼんやりと陽炎が立ったような気がした。
(台詞数: 50)