高坂海美
最初に教わったのは落ちることだった。
高坂海美
無理だと感じたら姿勢を整え、地面に垂直に落ち、両足で着地したらその衝撃を吸収するように
高坂海美
ゴロリと背中をマットに預ける。
高坂海美
最初に転がった時は天井の水銀灯なんて気にしなかった。
高坂海美
でも、数を重ねるにつれ水銀灯のはっきりした光が気にいるようになっていった。
高坂海美
今日は、仕事の一環だった。
高坂海美
だからというわけではないが、妙に肩に力が入っているように感じる。
高坂海美
周りには撮影クルーと番組関係者だけ。事務所の人間はいない。
高坂海美
リハーサルを重ねた後、スマホを見ると「今から向かう」とのメールが届いていた。
高坂海美
プロデューサーは私とデュオを組んだ彼女のところらしい。
高坂海美
なんとなしに両足で跳ぶ。たーん、たーんと硬い音が響いた。
高坂海美
スタンバイまであと少し、電源を落とそうとしたところで今度は着信音が響く。
高坂海美
電話をとって耳を開く。……うん、うん。ランチね。うん、3人で。
高坂海美
もう本番だからと電話を切る。彼女の申し訳なさそうな声が耳に残った。
高坂海美
大きな声で撮影開始の合図に応じる。深く息を吐いて右手を石にかける。
高坂海美
グッと力を込めて身体を持ち上げる。
高坂海美
イケる。いつもどおり。そう確信して、左手を伸ばし、スイスイと重力に逆らう。
高坂海美
……水銀灯のすぐそばまでやってきた。オーケーの声に反応し、遥か下を見る。
高坂海美
番組関係者が目に入った。女性2人に男性1人。合計3人。
高坂海美
『そう、3人でランチなの』
高坂海美
彼女の、田中琴葉の声がリフレインする。
高坂海美
小首をかしげつつも、目元に残る憂いを染みているあの声が。
高坂海美
なぜか額から冷たい汗が出た。汗はそのまま頬を伝い、右手にポトリと落ちた。
高坂海美
私は大きく首を振り、次に足をかける場所を確認する。
高坂海美
小さく息を吐き、そろりと右脚を降ろす。
高坂海美
重力を受け止めながら、慎重に手足を動かす。一方で頭は先ほどの冷たい汗のことを考えていた。
高坂海美
『そう、3人でランチなの』
高坂海美
右手を外し、近場の石に手を伸ばす。
高坂海美
『そう、
高坂海美
『そう、3人で』
高坂海美
その声が仄かに孕む怒気に気付いた瞬間、私は冷たい汗が全身から噴き出すのを感じた。
高坂海美
頭の中で2人で歌ったあの曲が響き渡る。2人で歌ったあのサビが。
高坂海美
"Understand?"
高坂海美
『Yes,Understand!』
高坂海美
しかし、全てを理解したのに、我に返った私の両手は何も掴んでいなかった。
高坂海美
私の脚は壁を斜め上に蹴り、無意識ながら身体と頭を垂直に保とうとしていた。
高坂海美
落ちていく。
高坂海美
風を切って落ちていく。
高坂海美
身体が重力を受け入れる。
高坂海美
私の心が、気づかずにいた気持ちを受け入れる。
高坂海美
いつ、いつ私は落ちていたのだろう。
高坂海美
琴葉はいつから気付いていたのだろう。
高坂海美
両足に柔らかい感触と激しい衝撃が加わる。私はその全てを吸収するように
高坂海美
ゴロリと背中をマットに預けた。
高坂海美
水銀灯を仰ぎ見る。
高坂海美
いつもはあんなに眩しい光が滲んで見える。私は腕で目を覆った。
高坂海美
足音が聞こえる。聞きなれた足音が。いつの間に来たんだろう。
高坂海美
大丈夫。大丈夫だから。
高坂海美
足だって手だってピンピンしてる。痛いのは、ココだけ。だから、これ以上私を
高坂海美
落とさないで。
(台詞数: 50)