中谷育
「まったくもう、お天気おねえさんのうそつき!」
中谷育
両手で野菜のたくさん入ったビニールぶくろをかかえて、アーケードの入り口でひとりごと。
中谷育
「だって、テレビでは雨はふらないって言っていたんだもん」
中谷育
せっかくのおつかいなのに……これじゃあ、お母さんがっかりしちゃうよね
中谷育
大きなため息をつく。少しだけ体をずらして、空を見上げてみる。
中谷育
雨つぶがはっきり見えるお空はどんよりとねずみ色。
中谷育
おつかいに来たときは青空が見えていたのになぁ。
中谷育
「……どうしよう」
中谷育
だんだんと野菜を持つ手がつかれてきた。
中谷育
きょろきょろとまわりを見わたすけど、すわる場所はない。
中谷育
しょうがないからふくろを地面において、真っ赤な両手を何度もにぎにぎする。
中谷育
「ひゃっ!」
中谷育
じっと手を見ると、急にてんじょうから雨つぶが落ちてくる。
中谷育
つかれた手に当たった雨つぶは冷たくて気持ちよかった。
中谷育
何個も何個も少しずつ落ちてきて、手のひらがしっとりとしてきて、少しこそばゆい。
中谷育
まるで、がんばったわたしをほめてくれるみたいに、手のひらをナデナデされているみたいだった。
中谷育
「うん、何かできないか考えよう。きっと帰る方法がみつかるよね!」
中谷育
ポシェットのハンカチで手をふいて、うでを組んで考える。
中谷育
プロデューサーさんや律子さんはいつもこうやってるから、きっとなにか思いつくはず……。
中谷育
「むむむ……」
中谷育
目の前のしんごうきからとおりゃんせの歌が流れて、とまる。
中谷育
そして、またしばらくすると流れ始めて、また止まって、また流れて……
中谷育
「……思いつかないや」
中谷育
今日2回目の大きなためいき。6月なのに白い息が出た。
中谷育
なんだかあしも疲れてきたのでしゃがみこむ。顔を上げると、目の前にはたくさんの足、足、足。
中谷育
スニーカーにかわぐつ、ヒールのついたくつに、ときどき長ぐつ。
中谷育
ぴちゃぴちゃカツカツと音を立ててみんな歩いていく。
中谷育
その音は止まることがなくて、ずっとなり続けていて、
中谷育
……まるで、だれもわたしがここにいることに気付いていないみたいだった。
中谷育
「……おかあさんにでんわしようかな」
中谷育
ポシェットからハンカチと一緒に電話を取り出す。
中谷育
先にお顔をふいて、両手で電話を持ちなおす。ボタンを3回押せば家につながる。
中谷育
ちょっとだけえんりょしながらボタンを押すと、電話からプルルルルと音が出た。
中谷育
電話を耳にぴたりとつける。
中谷育
1回……2回……3回……
中谷育
1回……2回……3回……4回……5回……6回……
中谷育
……ボタンを押して電話を切る。ポシェットに戻して、しゃがんだまま顔をりょううででおおった。
中谷育
あしおとは続く。
中谷育
ぴちゃぴちゃ、カツカツ、ぴちゃぴちゃ、トクトク、キュッキュッ……
中谷育
いそぐ足音がわたしをいじめる。
中谷育
ぴちゃぴちゃ、カツカツ、ぴちゃぴちゃ、トクトク、キュッキュッ……
中谷育
ぴちゃぴちゃ、カツカツ、ぴちゃぴちゃ、トクトク、キュッキュッ……タッタッタッ
中谷育
わたしはばっと顔を上げてアーケードの奥を見る。
中谷育
少しだけど聞こえるこの足音。わたしが聞きまちがえるはずがない。
中谷育
スカートをはたいて、足元のふくろを持ち直す。取っ手がくいこむけど、気にしない。
中谷育
柱からはなれてつま先立ち。遠くのほうへ目をこらす。
中谷育
ビニールがさと黄色いかさ。2つを持って近づく足音。
中谷育
わたしはここにいるよって伝えたかった。
中谷育
でも、両手がふさがっているから手はふれない。
中谷育
だから、わたしはいっぱいのえがおでおかあさんをむかえいれた。
(台詞数: 50)