中谷育
ふぅ、とため息をつくとコーヒーの湯気がもやりと揺れた。
中谷育
たまらず入った喫茶店は幸いにも人はまばら。店員さんも私だって気付いていないみたい。
中谷育
「こんなはずじゃなかったのになぁ」
中谷育
ぼそりと呟いた言葉が、コーヒーの湯気をまたもやりと揺らす。
中谷育
『ため息ばかりついていたら、幸せが逃げちゃうよ』
中谷育
急な声に振り向くと、最近お会いしていなかった顔が私を見下ろしていた。
中谷育
『えへへ、歩いていたら育ちゃんを見つけちゃったから、寄り道しちゃった』
中谷育
変わらぬ笑顔を見せるオレンジ色の髪の毛の女性は、小さいコーヒーをもって隣に座った。
中谷育
「お久しぶりです、やよいさん」
中谷育
『久しぶり、育ちゃん。どうしたの?人気アイドルがこんなところで』
中谷育
やよいさんの言葉に胸がチクリと痛む。なんでもないですと、目を合わせずに答える。
中谷育
『……話題変えよっか。最近、事務所のみんなはどんな感じなの?』
中谷育
……どうして、やよいさんは、こうも私の痛いところをついてくるんだろう。
中谷育
『桃子は女優として舞台で頑張ってるよね。ひなたちゃんはBSの園芸番組の顔だし……』
中谷育
やよいさんがつらつらとシアターのみんなの名前を挙げていく。
中谷育
『……環ちゃんは響さんとはまた違った形のタレントになったよね。そして育ちゃんは』
中谷育
『現役女子大生アイドルとして活躍中』
中谷育
気付けばコーヒーから湯気が消えていた。
中谷育
『悩みがあるなら聞くよ。話してくれないかな』
中谷育
「…………やよいさんから見て今の私はどんなアイドルですか」
中谷育
『そうだね。昔から変わらない育ちゃんかな』
中谷育
……やはり大人に憧れるだけで、これといった特徴のないあの頃の私から変われていないのか。
中谷育
優しくて、強くて、カッコいいみんなに憧れた。
中谷育
でも、みんなのようにはなれなかった。
中谷育
やよいさん程の元気アイドルでもなく、琴葉さんや紗代子さん程の真面目系アイドルでもない。
中谷育
背も胸も大きくなったけど、千鶴さんのようなモデル体型でも風花さんのようなグラマーでもない。
中谷育
中途半端な私は元気で真面目な他人より少しプロポーションのいい、特徴のないアイドルだ。
中谷育
「やっぱり、私は変われていないんですね……」
中谷育
やよいさんは小首をかしげて私の顔をのぞきこむと、笑顔を作った。
中谷育
『昔から育ちゃんは素敵なアイドルだったから』
中谷育
『いつも上を見て、みんなを笑顔にすることを考えて、真面目にアイドルに取り組んで』
中谷育
『劇場の色んな人の良いところをグングン吸収して、自分のものにして』
中谷育
『育ちゃんしか持っていない、かわいさやカッコよさや強さを持ったアイドルだったから!』
中谷育
……湯気はとっくに消えたはずなのに、コーヒーがぼやけて見えた。
中谷育
「私は、このままアイドルを続けていいんでしょうか」
中谷育
『育ちゃんが続けたいならね』
中谷育
「ありがとう……ございます。明日からも頑張れそうです。」
中谷育
『お店を出る前に、ちゃんと化粧室に行くんだよ?』
中谷育
「はい、ありがとうございます。失礼します」
中谷育
『あ、そうだ』
中谷育
カップを持って席を立った私をやよいさんが呼び止める。
中谷育
『桃子にちゃんとお礼を言っておくんだよ?』
中谷育
……
中谷育
……そっか。
中谷育
「分かりました。ご迷惑、おかけしました。」
中谷育
ぺこりと頭を下げて、下膳口に向かう。
中谷育
桃子ちゃんになんて言おう。いや、言いたい言葉は決まっている。
中谷育
ありがとう、でもない。心配かけてごめんね、でもない。
中谷育
「桃子ちゃん、」
中谷育
「桃子ちゃん、桃子ちゃんはやっぱり大人だったよ」
(台詞数: 50)