早坂そら
彼女のポートレイトは、笑顔を纏う。
早坂そら
姿勢を変えても、衣装を変えても、背景を変えても。
早坂そら
まるで、見る者すべてに法悦を与える、生神女のイコンのように。
早坂そら
ファインダーの窓から覗くその顔には、いつも穏やかな微笑をたたえている。
早坂そら
怒ったときでも、その笑みは消えないのだから、これは信念と言ってもいい。
早坂そら
おそらく、地獄の釜の前に引き立てられたとしても、同じように笑ってみせるのだろう。
早坂そら
余計なこだわりは邪魔だが、信念ならば、むしろ好ましい。
早坂そら
私は、敬虔な宗教画家のように、彼女の姿を何枚も何枚も、肖像に閉じ込めていく。
早坂そら
…荘厳で静謐な時間が、不意に乱れた。
早坂そら
この場にそぐわぬ、不躾で無遠慮な、一人の男によって。
早坂そら
聖母を見る眼差しは優しさに満ちていたけれど、それは孤高を蝕み、神性を汚す毒。
早坂そら
彼女の側に立ち、横顔を見つめるその様は、堕落を誘う悪魔か、楽園の蛇か。
早坂そら
その眼差しと、聖母の視線が、空中で絡み合い…。
早坂そら
聖母よ。どうかその男に、手酷い拒絶を与えてください。
早坂そら
しかし、私が胸の中で叫んだその言葉は、聖母には届かなかった。
早坂そら
気が付けば、その顔から笑みが消えていた。
早坂そら
戸惑っているかのように、途方にくれているかのように。
早坂そら
自分に向けられる眼差しを黙って見つめ返す、その姿はまるで、唯の…
早坂そら
…聖域は、破られた。
早坂そら
それと同時に蘇ってきたのは、俗っ気たっぷりの、カメラマンという職の因業で。
早坂そら
彼女が初めて見せる表情。その一瞬を、捉えようとして…。
早坂そら
…寸前で、悟った。
早坂そら
きっと、彼女のあの横顔を目に焼き付ける罪から免れうるのは…。
早坂そら
信仰ではなく、審美でも、情欲でも、好奇でもなく。彼女を一人の少女として、慈しむ愛。
早坂そら
ただ、愛だけは。聖母も、それを咎める事はできないのだと。
早坂そら
…これ以上は、野暮。
早坂そら
私はカメラを下ろし、レンズにキャップを被せて、自制心にも蓋をする。
早坂そら
息を吸い込む。微かにワックスの香り。いつものスタジオの匂い。
早坂そら
休憩を告げ、背を向ける。先程まで釘付けになっていたはずなのに、視線を外すのは容易かった。
早坂そら
聞こえてくるのは、年相応のいとけなく甘い、少女の声だった。
(台詞数: 30)