北沢志保
(いっそこのまま、飛び込んでしまったら、少しは楽になれるのかしら。)
北沢志保
劇場からの帰り道。すっかり暗くなった中、歩きながら私は取りとめもないことを考えていた。
北沢志保
私の隣を瞬く間に過ぎ去る車たち。猛スピードで過ぎていく、ヘッドライト―
北沢志保
―その反対側。歩道の脇に寄せられた、こんもりとした雪の山を眺めていたせいだろう。
北沢志保
(あの雪山にダイブしたら、火照りも疲れも和げられる……かしら。)
北沢志保
私の家まで、まだ時間が掛かる。そもそも、帰って直ぐ、ベッドにダイブ……は出来ない。今日は。
北沢志保
……私の誕生日だから。きっと母は、そしてたぶん弟も、お祝いするため待っている。
北沢志保
……
北沢志保
家族のために、そしてなにより自分自身のためになると考え、飛び込んだアイドルの世界。
北沢志保
愉しみや興味本位じゃない。大成しなければいけないのだ。思い出作りをするつもりは無い。
北沢志保
子供の自分が稼ぐなら芸能界しかない。生意気にも家計の足しにしたいなら、売れっ子にならねば。
北沢志保
……それに、世間に顔と名前が知られるようになれば……あるいは、あの人も……
北沢志保
とにかく、成功するために、ストイックに取り組んできた。レッスンも、小さな仕事も。
北沢志保
……がむしゃらに、ひたすらに。ただただ、高みに向かうため。
北沢志保
アイドルは、目的を果たすための『手段』。私には……アイドルそのものへの『憧れ』も無い。
北沢志保
……
北沢志保
ありがたいことに、少しずつだけど着実にステップアップできていると感じる。
北沢志保
レッスンの質、劇場での出演回数、オーディションの成果、劇場外でのお仕事。高まっている。
北沢志保
今年の誕生日の前後には、記念公演を何度も開いてもらった。好評だ……と思う。
北沢志保
……
北沢志保
でもなんだろう。最近は心寂しさを感じることもある。いまの自分の境遇に。
北沢志保
乖離感、とでも言えばいいんだろうか……家族のため自分のために張り切れば張り切るほど、
北沢志保
成果を上げれば上げるほど、心苦しく感じることが、現れてくる。
北沢志保
心身を休めることもできないスケジュール。無くなっていく家族との時間。
北沢志保
忙しくなることが嫌なわけではない。それは、私が望んだことだから。
北沢志保
だけど……『手段』だったアイドルを極めるほど、『目的』から遠ざかる気もする。
北沢志保
道半ばだからかもしれない。今は、己を殺して我慢すれば、先にはすべて望む通りになるかも。
北沢志保
だけど時には、すべて投げ出して、体面を気にせず泣き叫びたくなることもある。でも、できない。
北沢志保
アイドルは人気商売。悪評はおろか、何らかのイメージを付けかねない振舞い自体、控えるべき。
北沢志保
……雪に飛び込むなんて子供じみた姿、誰かに見られる訳にはいかないから。
天空橋朋花
「今晩は~。今日の公演、お疲れ様でした~。」
北沢志保
「と、朋花さん!いきなり後ろから声をかけないでください、驚きました……」
天空橋朋花
「それはそれは~。私としたことが、いたずらっ子みたいな所作になりましたね~。」
天空橋朋花
「ところで志保ちゃん。雪になにか、怨みごとでもお持ちですか~。さっきから睨んでますが。」
北沢志保
「……。いえ、そんな事は。別に雪に、思い入れなんて。」
北沢志保
「……強いて言うなら、雪は好きです。純粋で、包み込んでくれそうだから。」
天空橋朋花
「同感です~。純潔さの象徴のような、天からの贈り物ですね~。」
天空橋朋花
「……だから私などは、時々こんなことをしたくなるんですよ~。」
北沢志保
……そう呟くと朋花さんは、いきなり……
北沢志保
……倒れ込むように、背中から雪山にダイブしてしまいました!
天空橋朋花
「……うふっ。ゾクッとする冷たさと、沈み込んでいく感触がたまりませんね~。」
天空橋朋花
「……ついでに、こんなこともしちゃいましょうか~!」
北沢志保
倒れたまま朋花さんは、両手両足をバタバタと振りはじめました。
天空橋朋花
「……人の世に苦しみは多く、このように足掻き続ける事ばかりかもしれません。」
天空橋朋花
「でも、そんな人間の努力と苦悩を、常に誰かが観てくれているものですよ~。」
天空橋朋花
「例えばほら……天使様が、ですね~。」
北沢志保
立ち上がった朋花さんの後ろには……雪に刻まれた『天使』―長い裾の衣と、羽を持つ姿の跡。
北沢志保
「……朋花さんって、意外と子供じみたところがあるんですね。」
天空橋朋花
「仔豚ちゃん達が居ない時くらい、ですよ~。……天使様が独りでは寂しいですよ、志保ちゃん。」
北沢志保
……劇場近くの小さな雪山。帰る私達を見守るように、二人の『天使』が並びました。
(台詞数: 50)