馬場このみ
「どう、決心はついた?」
馬場このみ
控室の椅子で小さく座っているひなたちゃんに声をかける。
馬場このみ
ひなたちゃんはそっと首を振り、小さく息をついた。
木下ひなた
「……正直に話したほうが私の心が楽になるのは分かってる。自分のためになるのも分かってる」
木下ひなた
「でも、どうしても……」
馬場このみ
ひなたちゃんはカラカラに乾いた手のひらをじっと見た。
エミリー
「皆さんありがとうございました!エミリー・スチュアートで『エターナルハーモニー』でした!」
馬場このみ
モニターからエミリーちゃんの声が流れる。ステージからの歓声が振動となって控室を揺らす。
木下ひなた
「……昔の私は、ずいぶんと無責任なことを言ったんだね」
馬場このみ
「他人の背中を押すときって大体そんなものよ」
馬場このみ
私はひなたちゃんの隣に椅子を持ってきて腰かけた。
エミリー
『初めは母国の大学を受ける予定はありませんでした』
馬場このみ
ステージ前の控室、エミリーちゃんは少し前の話を聞かせてくれた。
エミリー
『ただ、興味はあったんです。もう一度、外からこの国を学んでも面白いかもしれないと』
エミリー
『でも、そんな顔は見せた覚えはありません。仕掛け人様も気付いてなかったと思います』
エミリー
『ただ……ひなたさんにはバレてしまいまして』
木下ひなた
「……偶然、エミリーちゃんがイギリスの大学のページを開いているのを見ちゃって」
馬場このみ
エミリーちゃんから聞いた話を振ってみると、ひなたちゃんは苦笑いしながら答えた。
木下ひなた
「でも、エミリーちゃんは行かないです、って寂しそうな顔をして言ったの」
木下ひなた
「まだトップアイドルになっていないし、ファンを悲しませたくないからって。それで私……」
エミリー
『ひなたさんは言ってくれました。「やりたいことがあるなら自分にウソついちゃいけないって」』
エミリー
『「自分にウソをついたら、ファンの人もきっと悲しむよ」って』
エミリー
ステージに上がる前、エミリーちゃんはにっこり笑った。
エミリー
『ひなたさんは私の背中を押してくれました。今度は私がひなたさんの背中を押す番です』
馬場このみ
今、エミリーちゃんはステージの上で今日の4曲目を歌って、舞っている。
馬場このみ
ただ、ひなたちゃんはモニターに映るその姿を見ることなく、じっとうなだれている。
馬場このみ
「……MCを挟んで5曲目が始まる。それが終わったらひなたちゃんの出番よ」
馬場このみ
私は手帳を開いて、このあとの段取りを説明する。
馬場このみ
「2人で一曲歌い終わったら、ひなたちゃんからエミリーちゃんへの激励の言葉を贈る」
馬場このみ
「……標準語を使って話すならそのタイミングよ」
馬場このみ
「エミリーちゃんがそのあとひなたちゃんをフォローしてくれる。これでお披露目は終わり」
木下ひなた
ひなたちゃんは静かにこくりと首を動かした。
馬場このみ
モニターの中のエミリーちゃんがポーズをとり、音が広がり消えていく。私は大きく息をついた。
馬場このみ
「……ただ、無理に標準語を話さなくてもいいからね」
木下ひなた
ひなたちゃんは顔を上げ、いぶかしげに私の顔を見る。
馬場このみ
「このステージでひなたちゃんがやらなければいけないことは分かる?」
木下ひなた
「……標準語を話せることをファンのみんなに伝えること、でしょ?」
馬場このみ
私は首を横に振る。
馬場このみ
「それは結果のひとつよ。やらなければいけないこと、それは『どうしたいかを決めること』よ」
馬場このみ
私はひなたちゃんに向き合って両肩に手を置いた。
木下ひなた
「……私がどう、したいか……」
馬場このみ
「ファンをがっかりさせたくないか、自分にウソをつきたくないか、どちらでもいいわ」
馬場このみ
「それがひなたちゃんのやりたいことなら、私だってエミリーちゃんだってファンだって応援する」
木下ひなた
ひなたちゃんの目をじっと見る。迷いと戸惑いの色が見える。
馬場このみ
ステージから歓声が上がる。私はひなたちゃんの肩から手を離してモニターに向き直る。
エミリー
「『Sentimental Venus』をお聞きいただきました。いかがでしたか?」
エミリー
「……さて、次の曲に入る前にお話ししたいことがあります」
馬場このみ
エミリーちゃんは、そっと目を閉じ、口を開いた。
エミリー
「それは……
エミリー
「それは……私の大事なお友だちのことです」
(台詞数: 50)