いろはにほへと ちりぬるを
BGM
微笑み日和
脚本家
nmcA
投稿日時
2016-10-21 01:01:06

脚本家コメント
和歌なんてわかんない

コメントを残す
エミリー
『先生、私に和歌を教えてください』
エミリー
人生で最も緩やかな時間を邪魔したのは、俺のクラスの出席番号7番だった。
エミリー
『次の舞台で和歌を取り入れようと思うのですが、どうも上手くいかないのです』
エミリー
『いつも放課後の時間をお邪魔して申し訳ありませんが、ご教授願えないでしょうか』
エミリー
ふむ……と呟いて、ケトルを置く。
エミリー
「まぁ、まずは俺にコーヒーを飲ませてくれ」
エミリー
2人分のコーヒーの湯気がたゆたう中、俺はメモ帳の切れ端にペンを走らせた。
エミリー
「スチュアート、読んでみろ」
エミリー
怪訝そうな表情のまま俺の生徒は滑らかに口を動かす
エミリー
『いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ』
エミリー
『うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす』
エミリー
コーヒーを一口啜り、ご苦労様の代わりとする。
エミリー
『先生、私は和歌を教えてくださいと言ったはずですが?』
エミリー
「まぁ、焦るな。ところで、スチュアート、この歌はどういう意味だ」
エミリー
『意味……ですか?』
エミリー
「そうだ、今日の授業で出てきた和歌にも意味があっただろう」
エミリー
『春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山ですね!』
エミリー
『いつの間にか春から夏に代わって、天の香具山に白い頃もが干してある』
エミリー
『そういった、日本の風情を詠んだ歌です』
エミリー
俺はコーヒーの湯気に花丸を描いた。
エミリー
『しかし、先生、私は先ほどのいろは歌の意味については教わっていません』
エミリー
「そりゃそうだ。教えていないからな」
エミリー
俺の生徒はカップを持ったまま唖然としている。もう一度先ほどのメモにペンを走らせる。
エミリー
「いろは歌を漢字に直した。どうだ、少し意味が取れるんじゃないか」
エミリー
【色は匂へと 散りぬるを 我が世たれそ 常ならむ】
エミリー
【有為の奥山 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせす】
エミリー
『そう……ですね。前半の部分は平家物語の冒頭に近いものを感じます』
エミリー
『後半は……なんというのでしょう、少し幻想的な雰囲気を覚えます』
エミリー
……本当にこの生徒にはほとほと感心する。
エミリー
「スチュアートのいうとおり、前半は無常観を歌っている。そして、後半も同じく無常観だ」
エミリー
「有為は因縁によっておこる一切の物事、つまり、有為の奥山はこの世の中を表している」
エミリー
「その世の中ではかない夢を見たり酔いに耽ったりしたりしないようにしよう、そんな感じだ」
エミリー
気付けばカップは空になっていた。俺の生徒におかわりを促すが固辞された。
エミリー
『と、ところで、肝心の和歌なんですが……』
エミリー
人生で最も緩やかな時間を再度邪魔される。ケトルからの一滴を豆の上に落とす。
エミリー
「スチュアート、お前はさっきのいろは歌の意味を答えることができただろ」
エミリー
『は、はい。しかし、それはあくまで直感といいますか、意味というよりは感想でして』
エミリー
「それだよ。それでいいんだ」
エミリー
向き直り、インスピレーションの滴を口に含む。
エミリー
「和歌を詠んで、感じたこと、思ったこと、思い浮かんだこと。それが和歌の意味で、和歌自身だ」
エミリー
空になったコップを持ったまま俺の生徒は俺の目をじっと見てる。
エミリー
「たくさんの歌を詠め。俺から言えるのは、これだけだ」
エミリー
俺の生徒を帰らせる。俺は自席の椅子を軋ませると、隣のクラスの教師から声をかけられた。
エミリー
『先生、お疲れ様です。熱心な生徒ですね。先週も別件で来ていましたか』
エミリー
「はは、少しはこっちの都合も考えてほしいものですよ、まったく。休憩もあったもんじゃない」
エミリー
ぬるくなったコーヒーを口に含み、机から資料を取り出す。
エミリー
『……でも、嬉しいんですよね?』
エミリー
「……どうしてそう思います?」
エミリー
『あの生徒が来ているときしか見せない顔をしてますよ、今』
エミリー
渡された鏡を古今和歌集で隠し、明日の授業の準備を開始した。

(台詞数: 50)