如月千早
今日は練習の予定は無かったのだが、
如月千早
足は自然と、我那覇楽器店へと向かっていた。
如月千早
貴音さんは音入れの仕事、ジュリアはその手伝い。
如月千早
望月さんは、何かのゲーム大会に、エキストラとして参加だという。
如月千早
私ひとりが、時間をもて余していた。
如月千早
……………。
如月千早
今まで散々、あれは嫌だこれも嫌だと仕事を選り好みして来た事の、何と身の程知らずだった事か。
如月千早
千鶴さんの苦労を思うと、何とも肩身の狭い、情けない気分になる。
如月千早
……………。
如月千早
いつもながらこの商店街は、夕方近くのこんな時間なのに、
如月千早
買い物客も疎らで、景気の悪い事この上ない。
如月千早
馬場古書店も我那覇楽器店も、客が居る時の方が珍しい程で、お節介ながら心配になる。
如月千早
まあ、今の私より数段ましではあるが。
如月千早
八百屋の前を通りがかると、いつもの様に、おかみさんが声を掛けて来た。
如月千早
毎回、半ば無理矢理に、何かを持たされる。
如月千早
今日は、紙袋一杯の梨を持たされた。
如月千早
次の演奏会はちゃんと最後まで演りなさいよと、いつも通りに冷やかされ、
如月千早
私もいつも通り、困ったように笑って見せて、お礼を言う。
如月千早
紙袋の中の梨が、瑞々しい香りを漂わせる。
如月千早
我那覇楽器店はいつも通り、客の姿も無く、静かだ。
如月千早
店内に入ると、奥の作業場でフレット交換をしていた響さんが、
如月千早
私に気付き、顔を上げ、人懐っこい笑みを浮かべ、上を指差した。
如月千早
三階の練習スタジオを使え、という意味だ。
如月千早
目礼して返し、階段を昇る。
如月千早
二階の休憩室に紙袋と鞄を置き、制服を着替える。
如月千早
階上から、微かにギターの音が漏れて来た。
如月千早
珍しく、先客が居るようだ。
如月千早
スタジオのある三階に上がり、音のする部屋の窓を覗き込む。
如月千早
聞こえるのは、六弦のリフレイン。
如月千早
金属の擦れる乾いた音色の、ブルーノートのフレーズ。
如月千早
奏者は、少し弾いては逡巡し、また少し弾いては譜面にペンを走らせる。
如月千早
そして、私に気付くと顔を上げ、一寸訝しんでから、手招きした。
二階堂千鶴
「今日は練習の日ではありませんわよ?」
如月千早
「千鶴さんこそ、一月振りのオフだと言ってたのに、何をやってるんですか?」
二階堂千鶴
「ええ、ですからこうして、のんびりさせて頂いておりますわ。」
如月千早
「って、そんな時まで音楽なんですか?」
二階堂千鶴
「まあ、今更我慢もよろしくありませんから。」
如月千早
「何となく、分かります。」
二階堂千鶴
「しかし、いけませんわね。ブランクが長すぎて、指が追い付きませんわ。」
如月千早
「充分じゃないですか。スライドギターなんて、ジュリアだってそんなには弾けないのでは?」
二階堂千鶴
「普通の奏法とは違うコツが有りますから。こればかりは貴音さんにも引けは取りませんわ。」
如月千早
「このフレーズ、聞いたことある様な……。」
二階堂千鶴
「大昔のブルースのナンバーですわ。」
如月千早
「何ていう曲ですか?」
二階堂千鶴
「………デス・レター。訃報、という意味ですわね。」
如月千早
「……随分不景気な曲名ですね。爽快な感じの曲調なのに。」
二階堂千鶴
「……………。」
如月千早
「……………………。」
二階堂千鶴
「貴音さんに、昔話を聞かされたそうですわね。」
如月千早
「………はい。」
(台詞数: 50)