雲翳
BGM
絵本
脚本家
mayoi
投稿日時
2015-07-24 22:02:21

脚本家コメント
それは白く光る草原だった。
黄のパステルを振りまいたような小花が風に揺れる。
隣には父の姿。手をつなぎ、果てなき星芒を行く。
そんな、夢だった。

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北沢志保
朝。
北沢志保
なにか大切な夢を見ていた気がするのだが、うまく思い出せない。
北沢志保
カーテンを開ける。射し込む朝日に目がくらむ。
北沢志保
夢の記憶が浮かび上がってきた、かと思えば針に短糸を通すようにまた抜け落ちた。
北沢志保
カーディガンを羽織りながらほころんだ袖口に気付いた。
北沢志保
直さなければ、と思ったが時間がない。顔に水を打ちつける。
北沢志保
味噌汁の用意をしながら卵を炒り、皿に載せていく。
北沢志保
炊飯器から立ち込める熱。しゃもじを握る手が止まる。
北沢志保
おもむろに食器棚から4つ目の茶碗を取り出し、食卓に並べた。
北沢志保
4人用の食卓。3脚だけの椅子。
北沢志保
……くだらない感傷だ。茶碗を1つ棚に戻し、母と弟を呼ぶ。
北沢志保
──────。
北沢志保
弟を乗せた母の車のエンジン音が遠ざかっていく。ガス栓を確認し、家の鍵を閉める。
北沢志保
家の外は思いのほか暑い。
北沢志保
アスファルトの熱気に人が揺らめく。存在が不確かになる。
北沢志保
それは夏のことだった。
北沢志保
話があると改まった父母を前に、私はいくらかの期待と不安を滲ませていた。
北沢志保
母は自らのお腹を撫で、頬に笑みを浮かべながらこう言った。
北沢志保
──実はね、志保に弟ができたの。
北沢志保
はじめは意味が分からなかった。
北沢志保
ただ二人の様子から、悪い知らせでない事だけは理解できた。
北沢志保
母が子どもを授かったこと。10ヶ月後には家族が増えること。
北沢志保
布団に潜ってから、私にもようやく分かり始めた。
北沢志保
家族が増える。私がお姉ちゃんになるのだ。
北沢志保
それはきっと楽しいことで、その日はなかなか寝付けなかった。
北沢志保
次の日の朝。私は食器棚から茶碗を4つ取ってきた。
北沢志保
それを見た母は目を丸くし、父は気が早いと笑った。
北沢志保
しかしテーブルもこれでは小さいと呟いた父を、今度は母が笑った。
北沢志保
気の早いセミが鳴いている。彼らは本当の夏を謳歌することもなく死んでいくのだろう。
北沢志保
突然、陽射しが和らいだ。
北沢志保
見上げると、手でちぎったような雲が太陽を覆っていた。
北沢志保
しかし雲はすぐに流れ、再び陽が射す。
北沢志保
アスファルトに落ちた影が私の前方を進んでいく。
北沢志保
その光景に鈍い痛みを覚える。
北沢志保
陽に焼かれる感触。
北沢志保
離された手。遠ざかる影。
北沢志保
陽炎に揺れる、父の後ろ姿。
北沢志保
気付けばその影を追って駆け出していた。ただ闇雲に、意味も分からず走っていた。
北沢志保
しかし影との距離は縮まらず、私など気にも止めぬ速さで流れていく。
北沢志保
すれ違う人が私を見た気がした。不審そうな目が私の奥にちらつく。
北沢志保
それを見たとき、私は今朝の夢をはっきりと思い出したのだ。
北沢志保
熱を失うように足を止めた。
北沢志保
膝に手をつき、激しく上下する肩を意識する。息が苦しい。
北沢志保
そうだ、こんなにも、と思った。
北沢志保
こんなにもくだらない感情を、私はずっと抱えている。
北沢志保
本当に愚かで、無意味で──
北沢志保
それでもただ求めていた。
北沢志保
空は高く、翳ることのない烈日に曝される。
北沢志保
あれから6度目の、夏が来る。

(台詞数: 49)