矢吹可奈
「はぁ……止まないなぁ」
矢吹可奈
雨宿りしたお店の軒先からはひっきりなしに雨粒が垂れてくる。
矢吹可奈
私はシャッターにぴったりとくっついて誰も通らない道を眺めていた。
矢吹可奈
かなり時間が経ったように感じるけど、腕時計の針は数字一つ分しか進んでいない。
矢吹可奈
「折り畳み傘、ちゃんと入れてたはずなんだけどなぁ」
矢吹可奈
また一つため息が増えた。
矢吹可奈
「ううん、ダメダメ。こういう時こそ元気出そ!雨ぽつぽ〜つ♪傘はない〜♪濡れたくない〜♪」
矢吹可奈
ブーン...バシャッ!!「きゃあっ!」
矢吹可奈
「あ、危なかった〜。ギリギリセーフ〜♪でも〜♪足がひんやり〜♪」
矢吹可奈
カバンからハンカチを取り出して脚を拭く。幸いにも靴下までは濡れていなかった。
矢吹可奈
ハンカチをカバンに戻そうとすると、奥のほうで何か硬いものが指先に当たった。
矢吹可奈
「あ、返しそびれちゃってる……」
矢吹可奈
取り出したのはハーモニカ。銀色の磨かれた表面は街灯を反射し鈍く光っている。
矢吹可奈
ぷ〜♪
矢吹可奈
口に当てて息を吸うと気の抜けた音がする。
矢吹可奈
ぷ〜ぴ〜ぴぴ〜ぷ〜♪
矢吹可奈
でも、その音色が私の心を少し明るくしてくれた。
矢吹可奈
顔を上げる。雨はまだシトシトと降り続いている。
矢吹可奈
ブルッと身体が震えた。同じ雨の日なのに梅雨の雨とどうしてこんなに違うんだろう。
矢吹可奈
梅雨はもっとジメッとしてて、まるでカタツムリになった気持ちになる。
矢吹可奈
でも、秋の雨は空気がひんやりしていてまるで冷蔵庫にいるみたいだ。
矢吹可奈
「プリンにケーキにチョコレート〜♪ゼリーにヨーグルトにシュークリーム〜♪」ぷ〜ぷ〜ぴぴ〜♪
矢吹可奈
誰もいない路上でハーモニカ片手に歌っていると、ストリートミュージシャンになったみたいだ。
矢吹可奈
「えへへ、ジュリアさんもこんな感じで歌っているのかなぁ?」
矢吹可奈
ぷ~ぷぷぴ~♪
矢吹可奈
「でも……ジュリアさんだったらお客さんがいて、独りじゃないんだろうなぁ」
矢吹可奈
ぷひゅ……
矢吹可奈
ハーモニカをくわえたまましゃがみこんだ。誰にも踏まれることのない水たまりが目に映る。
矢吹可奈
ぷ〜ぴぴ〜ぷ〜……
矢吹可奈
ぴぴ〜ぷ〜ぷ〜……ぷひゅ
矢吹可奈
気付けば私は、ギュッと両腕を抱え込んで俯いていた。
矢吹可奈
『何やってるの、可奈?早く戻るわよ』
矢吹可奈
聞き覚えのある声がする。さっき電話した時に聞いた声。ゆっくりと顔を上げる。
矢吹可奈
『!?ちょっとどうしたの!!誰かに何かされたの?怪我はない?』
矢吹可奈
私は袖で顔を拭く。自然と笑みがこぼれる。
矢吹可奈
「えへへ、志保ちゃんが来てくれたから、もう大丈夫だよ!ジャノメでお迎え嬉しいな〜♪」
矢吹可奈
志保ちゃんは心配そうな顔でこちらを見ている。私はすっと立って、志保ちゃんの傘の中に入った。
矢吹可奈
「さ、帰ろ!」
矢吹可奈
私は志保ちゃんの手をギュッと握る。
矢吹可奈
「そうだ!返すの忘れててごめんね、ハーモニカ」
矢吹可奈
『別にいいわ。私はもう使わないし、弟も自分のを持っているから』
矢吹可奈
「じゃあ、もう少し借りてるね!」ぷ〜ぴぴ〜ぷぷ〜♪
矢吹可奈
『……傘を忘れて、寒い所にいたわりには随分とご機嫌ね』
矢吹可奈
「だって、志保ちゃんが迎えにきてくれたし、それに……」
矢吹可奈
……あっ、だから、秋の雨って……
矢吹可奈
『それに……なに?』
矢吹可奈
「それに、志保ちゃんの手がとっても暖かいから!」
矢吹可奈
私は握る手にギュッと力を込めて、ハーモニカを口につけた。
矢吹可奈
ぷ〜ぴぴ〜ぷ〜♪
矢吹可奈
気の抜ける音が道に響く。暖かい手が、私を離さないようにと握り返してくれている気がした。
(台詞数: 50)