二階堂千鶴
…ようこそ、おいでくださいました。
二階堂千鶴
お客様におかれましては、ご機嫌麗しい様子で、何よりでございます。
二階堂千鶴
もう、三度目ともなれば、すっかり勝手もわかっていらっしゃるでしょう?
二階堂千鶴
席へご案内します。さあ、お手を…。
二階堂千鶴
今宵の喫茶店は、電灯を明々と灯しているので、足元を見失うようなことはありませんが…。
二階堂千鶴
あたかもそれが決まりごとであるかのように、手を取り、確かめながら、席へと導きます。
二階堂千鶴
今日のために設えた席には、いつものように、お茶会の道具がひとそろい。
二階堂千鶴
お茶菓子には、素朴な味のスコーンを少々。
二階堂千鶴
そして、香水のそれを思わせる、白銀の細口が付いた、小さな瓶が10ばかり並んでいました。
二階堂千鶴
お客様の着座に合わせて、改めて一礼を捧げまして。
二階堂千鶴
数多の練習と、幾度かの実践がもたらした、慣れた手つきで、紅茶をティーカップへ、一杯。
二階堂千鶴
ただそれだけ。砂糖のひとかけらも無いままに。
二階堂千鶴
そして、今日の趣向となる、小瓶の方へと目をやりました。
二階堂千鶴
並んでいる瓶はビターズボトル。
二階堂千鶴
名前の通り、ごくわずかな苦みや風味を加えるための注ぎ口が付いた、小さな瓶です。
二階堂千鶴
爽快なベルガモット、官能的なブランデー、華やかなバニラエッセンス、荒々しいスピリッツ…。
二階堂千鶴
並んだ瓶の中から、わたくしは、今日のために決めたひとつを選びました。
二階堂千鶴
アマレット。
二階堂千鶴
わたくしが手に取ったそれは、赤みを帯びた琥珀色が、上質の鼈甲にも似て。
二階堂千鶴
このリキュールは…。
二階堂千鶴
…いいえ、失礼いたしました。
二階堂千鶴
アマレットは、甘さの中にほろ苦さがあって、その香りはアーモンドにも例えられます。
二階堂千鶴
杏の種を原料としておりますので、原料を同じくする杏仁豆腐の匂いとも、感じるかもしれません。
二階堂千鶴
ビターズボトルへから、紅茶の中へ、ほんの一、二、三滴。
二階堂千鶴
水面に立った波紋がおさまれば、他に何を加えることもなく、完成です。
二階堂千鶴
どうぞ。これが、わたくしにできる、最高のおもてなし…。
二階堂千鶴
そして、貴方への御礼でございます。
二階堂千鶴
どうか、じっくりとご賞味ください。
二階堂千鶴
紅茶の中にある、複雑な、ごくわずかで、確かなものを。
二階堂千鶴
ただこれだけのものですが。想いだけは、偽りも疑いも無く。
二階堂千鶴
……。
二階堂千鶴
人は、どれだけの夜を過ごすことができるのでしょうね?
二階堂千鶴
過ぎ去っていく、幾多の夜をこのカップの中の紅茶とすれば…。
二階堂千鶴
この忘れがたい一夜も、紅茶に垂らしたリキュールのひと雫と同じでしょう。
二階堂千鶴
ですが、その一滴一滴が、香り立つ紅茶の中で、芳しく咲き開きます。
二階堂千鶴
そして紅茶も、深みを、豊かさを、味わいを増していくのです。
二階堂千鶴
…わたくしとの時間は、貴方にとって、一滴のアマレットとなるに足りたでしょうか?
二階堂千鶴
もし、そうであると仰っていただければ、何より嬉しいのですが。
二階堂千鶴
…さて、それでは。今宵も、お代をいただきたく存じます。
二階堂千鶴
わたくしにも紅茶を一杯。貴方と差し向かいで、楽しませていただきますわね。
二階堂千鶴
…そして、貴方。
二階堂千鶴
こちらに並ぶ瓶の中から、わたくしにも三滴、いただければと。
二階堂千鶴
甘さも、苦さも。刺激的なもの、爽やかなもの。彩り、取り揃えてあります。
二階堂千鶴
貴方が望む一滴であれば、どのようなものでも構いません。
二階堂千鶴
きっと、それがわたくしにとっての、ゴールデンドロップ。
二階堂千鶴
真心を捧げて、真心を受け取る、何よりも輝かしく素敵な…幸せ。
二階堂千鶴
…。
二階堂千鶴
…やがて来る時が、この記憶も想いも、何処か遠くへ流し去ってしまったとしても。
二階堂千鶴
この一夜、貴方と想いを交わしたひと時が刻んだ確かなものは、決して消えることなく…
二階堂千鶴
…永遠に。
(台詞数: 50)