二階堂千鶴
「いらっしゃいませ」
二階堂千鶴
店内に響き渡る、私の声。
二階堂千鶴
ここは都心外れの寂れた商店街、その一角に位置する小さな精肉店。
二階堂千鶴
地域密着型と言ってしまえば聞こえはいいのかもしれませんけれど…
二階堂千鶴
蓋を開けてみれば、どこにでもあるシャッター街のお店ね。
二階堂千鶴
高校を卒業してから、働き始めた両親の精肉店。
二階堂千鶴
もう何年経ったのかしら…
二階堂千鶴
本来ならばやりたいことを見つけてすぐにでも辞めるつもりでいたのにね。
二階堂千鶴
すっかりフィットしてしまった精肉店の看板娘としての生活。
二階堂千鶴
手放すにも、どうも身に染みついてしまったみたいで、とても拭えそうにないわね。
二階堂千鶴
高校卒業以降、春が来た心地がしないのは、どうにも代わり映えしない日々のせいなのかしら。
二階堂千鶴
あらいけない、仕事中だっていうのに、感傷的な気持ちになってしまったじゃない。
二階堂千鶴
パンパン。
二階堂千鶴
両頬を軽く掌で叩き付けて、精肉店の看板娘に戻る私。
二階堂千鶴
視界の端にはお惣菜と睨めっこをしている赤毛の女の子が入って来る。
二階堂千鶴
なんせ寂れた商店街のお店なものだから、買い物に来る客層は大抵決まっている。
二階堂千鶴
そんな、お得意様に支えられている精肉店だけれども…
二階堂千鶴
最近、見知らぬお客さんが来るようになったのよね。
二階堂千鶴
大切そうにギターケースぶら下げている、年齢は女子高生くらいの赤毛の女の子。
二階堂千鶴
そう、今まさに私の視界に入ってきている人物のことね。
二階堂千鶴
閉店間際にふらっとやって来ては、手に握りしめている小銭でコロッケを買っていく。
二階堂千鶴
毎日コロッケばかり食べて飽きないのかしら?
二階堂千鶴
それにコロッケ以外のものちゃんと食べてるのかしら?
二階堂千鶴
そんな疑問が、ふと私の頭の中に浮かび上がる。
二階堂千鶴
赤毛の女子「このコロッケ、二つ」
二階堂千鶴
彼女はいつものようにコロッケを指差して、そう口を開いた。
二階堂千鶴
「はい、160円になりますわ」
二階堂千鶴
案の定、やはりまたコロッケなのね、と心の中で呟いてから…
二階堂千鶴
私はいつもの要領でコロッケを二つ取り出して、紙袋に入れる。
二階堂千鶴
そして、紙袋を差し出すと同時に彼女の手から小銭を受け取った。
二階堂千鶴
「丁度頂戴しますわね」
二階堂千鶴
赤毛の彼女は頷くと、そのまま店を出ようと出口に向かっていく。
二階堂千鶴
ガラン!
二階堂千鶴
「あ、ちょっと待って!」
二階堂千鶴
赤毛の女子「ん?」
二階堂千鶴
私はレジの隣にあったサラダの詰め合わせを手に取った。
二階堂千鶴
そして、出口で足を止める彼女のもとへと歩み寄る。
二階堂千鶴
「これ、オマケよ、持っていきなさい」
二階堂千鶴
赤毛の女子「え?」
二階堂千鶴
彼女は突然の好意に少し戸惑っているのか、受け取ることを躊躇しているように見えた。
二階堂千鶴
「ちゃんと、野菜は食べてるのかしら?」
二階堂千鶴
「偏った食事を取っていては健康に悪いわよ」
二階堂千鶴
「だから、このサラダ持っていきなさい」
二階堂千鶴
そう言って私は半ば強引に彼女にサラダを押し付ける。
二階堂千鶴
赤毛の女子「あ、ありがとな」
二階堂千鶴
彼女はそうお礼をしてから、店を後にしようとする。
二階堂千鶴
「ええ、またいらっしゃい、待ってるわよ」
二階堂千鶴
私は少し早足に去るその後姿に向かって手を振った。
二階堂千鶴
あの日から、赤毛の女の子は精肉店(ここ)に姿を見せなくなったのよね。
二階堂千鶴
あの日は確か、空に雪がまばらに舞う夜だったかしら…
(台詞数: 50)