馬場このみ
おぼろげな記憶を道案内に、走る、走る。
馬場このみ
目的の場所は思い出に変わらず、ただその様子はひどく変わり果てていた。
馬場このみ
昔、駄菓子屋と言われていた建物。
馬場このみ
子供にとって娯楽とお菓子の宝庫であるここに、三日と間を空けず通い詰めていたものである。
馬場このみ
しかし、今は。
馬場このみ
緑のつる草が、まるで建物を覆い隠すかのように、びっしりとはびこっていて。
馬場このみ
もうこの建物が、人の血が通った手で触れられていないということは、明白だった。
馬場このみ
流れた時の重みを感じながら、入口へ回る。
馬場このみ
日の光の当たらない軒下には、植物も用が無いとみえて、近寄るのは簡単だった。
馬場このみ
しかしそのガラス戸は黄色く濁って、中の様子をうかがい知ることはできない。
馬場このみ
恐るおそる戸を引き開けようとすれば、少しだけ開いて、どこかで引っかかる。
馬場このみ
覚悟を決めて、強く二、三度揺らせば、朽ちかけた戸はすぐに屈服して、道を開けた。
馬場このみ
むっと鼻につくのは、ほこりとカビと、腐った木の匂い。
馬場このみ
正面には、年代物のレジスターが錆びて、当時でも塗装がはげていたのに、さらに赤茶色に。
馬場このみ
子供でも身を乗り出せるように、低くあつらえてあるレジ台の向こう。
馬場このみ
店主のおばあさんが腰かけていた椅子が、ぽつんと、もう来ることのない役目を待ち続けていた。
馬場このみ
ふと、目の端にきらめいたのは、あの頃と変わらない輝き。
馬場このみ
見てみれば、それは赤いの、緑の、青の、黄色の、様々な色で彩られた、液体のお菓子で。
馬場このみ
甘味料と着色料の、良識ある大人が見れば卒倒しそうな、不道徳のミックス。
馬場このみ
口に入れれば甘いばかりで、べろに鮮やかな色が付いた。
馬場このみ
それなのに、何故かそれが無性に美味しかったのを覚えている。
馬場このみ
幼い頃の楽しい記憶に誘われて、まるで宝探しのように、しばらく辺りを探し回った。
馬場このみ
そして、見つけたものは。
馬場このみ
銀紙の袋で閉じられている、架空のアイドルをアニメ調の絵で描いた、トレーディングカード。
馬場このみ
その時、驚くほど鮮明な記憶が蘇ってきた。
馬場このみ
なけなしのお小遣いで、買えるのは1パック。取られるわけでもないのに、いそいそと開けて。
馬場このみ
出てきたのは、プリズムできらきら光る、お目当てのアイドルのカード。
馬場このみ
やったやったとはしゃぎ回って、近くの河原をステージに見立てて。
馬場このみ
どこかで覚えた歌とダンスで、実際には歌いも踊りもしないそのアイドルの、真似っこをしていた。
馬場このみ
「ねえ!わたし、いつかアイドルになるんだ!」
馬場このみ
そんな誰もが言いそうなことなのに、おばあさんは特別な一人に声をかけるように、優しかった。
馬場このみ
あぁ、あんたは歌も踊りも上手だからねえ。きっと、アイドルにだってなれるよ。
馬場このみ
「わたしがアイドルになったら、おばあさんにサインあげるね!」
馬場このみ
それはうれしいねぇ。そしたら、店に飾らせてもらうからねぇ。
馬場このみ
そうやって誉められたのがまた嬉しくて、その度に、おばあさんに歌ってみせたものだった。
馬場このみ
あれから、何年を過ごしたのだろう。
馬場このみ
そんなことがあったのもすっかりと忘れて、それなのに、人生の岐路でこの道を選んだのは。
馬場このみ
思えば、それが私の根っことなったのではないかと。
馬場このみ
壁に掛かった日めくりは、数年前の日付を示していた。
馬場このみ
おばあさんは、待っていたのだろうか?
馬場このみ
腰を曲げてつる草を刈りながら、子供たちのために、お菓子とカードを並べて。
馬場このみ
いつか、店に飾ることになる、サインを。
馬場このみ
その想像に、たまらなくなって、私は店のあとを飛び出した。
馬場このみ
涙でかすむ目で、誰かを必死に探し求める。
馬場このみ
誰でもいい。薄情者だと、怒ってほしい。この不義理を、叱ってほしい。
馬場このみ
だけど、ここには誰もいない。みんな、みんな、どこかに行ってしまった。
馬場このみ
残されているのは、言葉を持たない、土と水と草ばかり。
馬場このみ
胸の奥から、寂しさとどうしようもなさがつき上げてきて。
馬場このみ
私はああ、ああと言葉にもできず、ただひたすらに泣き続けていた。
(台詞数: 49)