真壁瑞希
過去を知ること。それが過ちの始まりだった。
真壁瑞希
現在と過去を知り、未来という概念、そしてその先に待つ死に気付いた。
真壁瑞希
どんな名誉も幸福も、死の前では無力なのか。
真壁瑞希
人は死を恐れた。
真壁瑞希
どれだけ寿命が伸びようと、それは死の先送りに過ぎないのだと考えた。
真壁瑞希
発展途上の科学技術は、その問いに歪んだ解答を示す。
真壁瑞希
すなわち、非存在であること。存在しないということ。
真壁瑞希
存在しなければ消えることもない。永遠に、非存在であり続ける。
真壁瑞希
馬鹿げていると思った。しかし人はそうは思わなかった。
真壁瑞希
この星が非存在者に満ちて荒廃するのは、さほど時間を要さなかった。
真壁瑞希
つまり失敗作らしい。人というものは。
真壁瑞希
まず、木という木を燃やし尽くして水を作る。
真壁瑞希
次に大地を水で覆い、生きとし生けるものすべてを沈める。
真壁瑞希
そういう手筈で、私たちの生まれたこの星を初期化することになっていた。
真壁瑞希
私の任務は非存在者の抹消。命を然るべき終わりに導くこと。
真壁瑞希
それはまた、彼ら自身の願いだった。そのように聞かされた。
真壁瑞希
雨が強く降っていた。
真壁瑞希
ベンチに座る者、犬用の首輪を引きずりながら歩く者、踊る者。
真壁瑞希
それらに照準を合わせて撃ち抜いた。気配は薄くなり、雨に紛れた。
真壁瑞希
目を閉じる。彼らの冥福を祈った。
真壁瑞希
すぐに銃を構え直すが照準が定まらない。疑念がよぎる。
真壁瑞希
誰一人、苦悩の表情などしていなかった。皆がそれぞれの幸福のなかにいた。
真壁瑞希
これは理想郷そのものではないのか。
真壁瑞希
彼らは存在せず、生きるための努力も戦いも必要ない。
真壁瑞希
ただ気ままに、空間に漂っていればいい。
真壁瑞希
少し休もうと思った。手近な建物の軋む扉を押し開け、中に入る。
真壁瑞希
吐く息は白く、薄闇が震えた。
真壁瑞希
元は事務所だったのだろう。鈍く冷たい机が立ち並んでいた。
真壁瑞希
雨は銃だけでなく兵をも錆びつかせるという。ゆっくりと、しかし確実に、腐食は進む。
真壁瑞希
まとわりつく湿気に、蜘蛛の糸に絡め取られるような錯覚を抱いた。
真壁瑞希
いっそ全てを洗い流してくれればいい。生も死も、この星も、私も。
真壁瑞希
かち、かち、と音が聴こえた。
真壁瑞希
とっさに身構えるが、ここには敵意など存在しないのだと思い出し、ゆっくりと息を吐く。
真壁瑞希
音は机の引き出しの中から聴こえた。
真壁瑞希
鍵がかかっていないのを確認し、静かに開ける。
真壁瑞希
腕時計だった。鉄製のベルトは赤く錆び、所有者もおらず、それでも時を刻んでいた。
真壁瑞希
ふと、ここに生きていた人たちの痕跡を探したい衝動に駆られる。
真壁瑞希
手当たり次第に、力任せに棚を引き抜いて放り捨てた。
真壁瑞希
書類、腐った菓子、衣類。噪音は雨が掻き消した。
真壁瑞希
ボイスレコーダーがあった。
真壁瑞希
携帯バッテリーを接続して再生する。
真壁瑞希
ノイズ混じりの笑い声が虚空に響く。とても賑やかに、笑い合っていた。
真壁瑞希
再生を終えたレコーダーを、両手で胸に抱き留める。
真壁瑞希
この再生ボタンは二度と押されることはないのだろう。
真壁瑞希
だからこそ沈みゆくレコーダーに命を吹き込み、言葉を託した。
真壁瑞希
──彼らはなにを望むでしょう。再び生きることを望むでしょうか。
真壁瑞希
──私には分かりません。でも、私は、生きていてほしい。
真壁瑞希
──生命の溢れるこの大地をもう一度駆けたい。
真壁瑞希
──そうは思いませんか、アユム?
(台詞数: 49)