周防桃子
桃子の体が、ゆっくりと空中に引き上げられていく。
周防桃子
体を支えるワイヤーは、天井のレールにつながっていて、リモコンで動かせるようになっていた。
周防桃子
今から撮影するのは、桃子が主演の映画のクライマックス。
周防桃子
地球に向かってくる隕石に、桃子の演じるサイキックヒーローが立ち向かうっていうシーン。
周防桃子
さすがにこのシーンだけは、宇宙空間も隕石も、ほとんどがCGでできている。
周防桃子
…空を飛ぶのは、本物の桃子だけどね。
周防桃子
本当は、桃子の代わりに人形が空を飛んで、そこに桃子のCGをかぶせる予定だったって聞いた。
周防桃子
でも、一番の見どころをCGに取られるくらいなら、役者なんていらないよね?
周防桃子
そんなこと、桃子のプライドが許すわけないじゃない。
周防桃子
自動車なみのスピードで移動するから怖いだろうとか、あの体勢で演技をするのは無茶だとか。
周防桃子
そんなことを言って引き留めようとするスタッフさんたちに、桃子は言ってあげた。
周防桃子
「桃子をだれだと思ってるの?」
周防桃子
今はアイドルだけど、元は天才って言われた女優なんだから。
周防桃子
ぜったいに引き下がらない桃子の勢いに、スタッフさんたちは困った顔でお兄ちゃんを見て。
周防桃子
少し考えて、お兄ちゃんは条件付きで桃子にGOを出してくれた。
周防桃子
一回だけ。一回やってうまくいかなかったら、そこであきらめること。
周防桃子
…オーケー。信頼してくれてありがとう、お兄ちゃん。
周防桃子
一回で十分だよ。最高のシーンにしてあげるからね。
周防桃子
そして、空中で桃子の体が真横に傾いて、まるで空を飛んでいるみたいになって。
周防桃子
…下から心配そうな顔で見上げるお兄ちゃんに、手をふってあげた。
周防桃子
カウントダウンが始まる。5、4、3、2、1…!
周防桃子
0と数えた瞬間、ガクンと体がゆれて、すごい勢いでワイヤーがレールを走り出す。
周防桃子
速い!前に車から身を乗り出したことがあったけど、あれよりずっと速く感じる!
周防桃子
思わず身がすくみそうになって…それでいいんだと自分に言い聞かせる。
周防桃子
地球のピンチなんだもの。ヒーローだって、うまくいくか不安にもなるし、緊張だってする。
周防桃子
固い表情は、その表現として生かしていけばいい!
周防桃子
でも、目だけは絶対に、まばたきでも閉じちゃダメ!
周防桃子
ヒーローは怖がるかもしれないけど、立ち向かう相手から目をそらしたりはしないんだから!
周防桃子
時間を数えることができれば、ほんの何秒かのことだったのかもしれない。
周防桃子
あの辺りが予定の位置。そう決めていた場所には、桃子のイメージで作った隕石があった。
周防桃子
いくよ!ここが、決めどころ!
周防桃子
息を吸い込んで、ここ一番のセリフを叫ぶ!
周防桃子
『必殺!メテオ・ストラーイクッ!!』
周防桃子
同時に突き出したパンチが、イメージの隕石を、まるでガラスのように叩き割って。
周防桃子
その姿は、桃子が思い描いていたクライマックスに、ぴったりと当てはまっていた。
周防桃子
やりとげたという笑顔は、役者としての桃子と、ヒーローとしての桃子、両方のもの。
周防桃子
『もう大丈夫だよ。地球の平和は、いつだって桃子が守ってあげるね♪』
周防桃子
最後の大見得も決まって、イメージ通り、カンペキだった。
周防桃子
カットが入って。ほとんど待つこともなく、監督が一発OKのサインを出すのが見えて。
周防桃子
それを見て、スタッフさんたちもお兄ちゃんも、みんなが拍手してくれたのがうれしかった。
周防桃子
…ふふん。どうだった、桃子の実力は?
周防桃子
最近は脇役が多かったけど、こうやって主役になれば、しっかりと決めてみせるからね。
周防桃子
それが女優。それがスターってものでしょ。
周防桃子
琴葉さんや、百合子さん、志保さんも、最近は演技の方でも注目されてるみたいだけど。
周防桃子
やっぱり、演技だったらまだまだ桃子がナンバーワンだよね!
周防桃子
自分の力に満足して、桃子はひさしぶりに役者としての充実感を味わっていた。
周防桃子
ワイヤーがゆるめられて、桃子の体はゆっくりと下に降りていく。
周防桃子
珍しく上からお兄ちゃんを見ながら、そのほっとした顔に、くすっと笑ってしまって。
周防桃子
こちらに伸ばすその手をつかまえながら。桃子は会心の笑顔で、お兄ちゃんに言った。
周防桃子
「ほら!リテイクなんて、いらなかったでしょ?」
(台詞数: 50)