玲音
「安普請な家を建てたのは、いつかこんなこんなところを出ていくつもりでいるからだ」
玲音
そうはっきりとした口調で主張した僕の頬を、君は何も言わずに打ってくれた……。
玲音
「いつか君を連れて火星に移住するつもりでいるんだ」
玲音
なんて、浪漫主義的な言い回しは、不器用な僕には到底出来ない。
玲音
頬をジンと走る痛みで現実に引き戻される。
玲音
どうやら君の求めていた答えは、ついには僕の口から出なかったようだ。
玲音
失望と怒りの入り交じった複雑な表情を一瞬浮かべてから、君は僕に背中を向ける。
玲音
どうやらここまでらしい。
玲音
それが別れの合図で、それから二人は別々の道を歩んだ。
玲音
別れの挨拶も、再会の約束もそこにはなかった。
玲音
なんとも寂しい別れだが、君が最後に見舞ってくれたビンタの痛みは今でも残っている。
玲音
どんなに努力をしても、死に物狂いで働いても、結局のところ……
玲音
僕はごみ溜めのような生活から脱け出すことはできなかった。
玲音
逃げ出そうとしても、気付けばボロくなったこの家に帰ってきている。
玲音
そこに落ち着いてしまっている。
玲音
君は真逆だった。
玲音
まるで、僕の事を嘲笑うかのように成功を納め、君がここに戻ってくることはなかった。
玲音
まるで君は人々に夢を与えて、僕には悪夢を見せているようだ。
玲音
そんな逆恨みにも近い妬みを覚えて、随分とたった。
玲音
鬱屈した日々が、僕を内面から破壊して、徐々に殺していく。
玲音
次第に自分自身が廃人に成り代わる様を姿見越しに目の当たりして…
玲音
僕は腐っていく…最後には何も感じなくなっていった。
玲音
ある朝、埃と蜘蛛の巣を被った固定電話が鳴った。
玲音
受話器に手をかけて、手に伝わる嫌な感じは無視をして、そのまま耳に当てる。
玲音
『もしもし…』
玲音
そう受話器越しに呼び掛けてくる懐かしいその声に、僕は崩れ落ちていただろう。
玲音
ただ嗚咽を必死に堪えて、泪を溢す僕の様子に君は気付いたんだろう。
玲音
『大丈夫』
玲音
僕を包み込む、優しくて包容的で力強い声がする。
玲音
『おいでよ』
玲音
『君を連れて火星に移住するつもりでいるんだ』
玲音
そんな浪漫主義的な言い回しが飛んできた。
玲音
口元が震えて言葉にならないありがとうを告げる。
玲音
僕は立て付けの悪くなったその扉を開けると、その家を久方ぶりに飛び出した。
玲音
通りの向こう側で、綺麗な顔立ちをしま君がスマホを耳に押し当てている。
玲音
君は僕を見つけると、小走りで駆け寄ってきて、あの日、僕がし損ねた抱擁をしてくれた。
玲音
耳元で君が囁く。
玲音
『もう離さない』
玲音
『愛してる』
(台詞数: 39)