瞬間
脚本家
瑞名子路
投稿日時
2019-11-26 11:55:05

脚本家コメント
あるいは、思春期の終り。

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如月千早
姿見の前で佇む、ひとつの音楽を見つけた。
如月千早
それが音楽だと一目で理解したことに、まず私自身が驚いて、そして彼女は振り返った。
如月千早
「おはよう、ロコ。いい衣装ね」
ロコ
「グッドモーニングです。チハヤはレッスンですか?」
如月千早
頷くと、彼女は楽しげに身じろぎする。なぜだか、そのゆらぎには明確な指示があると錯覚した。
如月千早
「楽譜かしら」
如月千早
気付けばそう呟いていた。
ロコ
「さすが、チハヤはアートに対するインサイトがありますね」
ロコ
「確かにこのコスチュームはシート・ミュージックです。どうして分かったんですか?」
如月千早
「どうしてかしら。なんだか、自分でもよく分からないけれど」
如月千早
「表現のありようが、音楽を指示しているように見えて」
如月千早
抽象化された感情の形態を前にして、人が様々な表現を選ぶように。
如月千早
彼女が纏う衣装は、その方向性や質感、色彩やかたちというものが、音楽にとてもよく似ていた。
ロコ
「かつてのロコアートをミュージックにリメイクしてみたんです」
如月千早
今の彼女のすがたからは、確かに、一連の曲想が導き出される。そして、思い出した。
如月千早
「間違っていたら申し訳ないのだけれど、あの桜じゃないかしら」
ロコ
「『パッション・オブ・チェリーブロッサムズ〜フィフティーンのジャーニー〜』です!」
ロコ
「やっぱりチハヤは、アーティストって感じですね」
如月千早
彼女は満足そうに、ニンマリと笑う。
如月千早
この劇場のアイドルで、彼女の桜を知らない者はいないだろう。
如月千早
息を呑むような表現と、風を送る生きた仕掛け。華やかさの裏に切なさがある。そんな作品だった。
如月千早
フィフティーンのジャーニー。衣装を目で読むうちに、自分が15歳だった頃の記憶が浮上する。
如月千早
鉱物みたいに張りつめていて、世界は今よりもずっと狭かった。
如月千早
自分には不要だと、色々なものを切り捨てていた。きっと孤独に甘えていた。
如月千早
それでも自分の歌が、人生を貫通できると信じて疑わなかった。
如月千早
あの時間が負い目だなんて思えないのは、不誠実だろうか。皆に、たくさんの迷惑をかけたのに。
如月千早
過去には戻れないけれど、記憶はこの瞬間と地続きに繋がっている。
如月千早
15歳の私を通過しなければ、どうしても届けられない歌があったとしたら。
如月千早
私と、皆で駆け抜けた、不揃いな足跡が並んだあの時間は無駄ではなかったはずだ。
如月千早
譜面を捉える。音楽を導いて、目を開く。
如月千早
ステージの上からは、たくさんの人が見える。
如月千早
ペンライトを掲げる人。切実な視線を向ける人。祈るようにして歌を待つ人。
如月千早
その人垣の中に、15歳の私は存在しない。でも、イメージできる。
如月千早
今、ここにいる如月千早は果たして、経験を超えた体験を届けられるのか。
ロコ
「ゴーストタウン・メモリも、フィフティーンのジャーニーも、届けられます。チハヤなら」
如月千早
ゆっくりと流れる知覚のなかで、自分が微笑んだのが分かった。
如月千早
「そうね。信じる」
如月千早
彼女を信じている。自分の歌を信じている。
如月千早
歌える。きっと歌ってみせよう。
如月千早
記憶にない遠くの街景も、揺るがない愛も、桜の切なさだって。
如月千早
今なら、今こそ、誰かの人生を貫くような歌を届けよう。
如月千早
譜面をなぞって、指示に忠実に。それでも、羽ばたくように自由に。
如月千早
掛け替えのないもの、失くしたくないもの、全てを込めて──
如月千早
──息を吸って、
如月千早
歌を奏でる、
如月千早
瞬間。

(台詞数: 46)