木下ひなた
放出の五分前に、ねじ巻きで家族の活動限界を伸ばす。そんな体験はきっと、これで最後になる。
木下ひなた
ゼンマイがつかえるような手応えを感じる。ふう、と息をつく音が、ロコさんと重なった。
ロコ
「サンクスです、ヒナタ」
木下ひなた
ロコさんは、朱色のキーボード抱えて誇らしそうに笑った。
木下ひなた
ロコさんは笑えるのだな、と思った。きっと強いアイドルなんだ、とも思った。
木下ひなた
透明な壁の向こうには、強すぎる太陽の輝きと、果てのない宇宙が広がっている。
木下ひなた
無音楽がブームになって、多くの『AI-doll』が放出されてきた。私の家族も、たくさん。
木下ひなた
ここに残っているのは、ロコさんと、ゼンマイを巻く役割があったあたしだけになっていた。
木下ひなた
だから、家族が遠ざかっていくところを、何度も何度も見てきた。
木下ひなた
そう遠くない未来、あたしが放出される時には、こうやって笑えるのだろうか。
ロコ
「ヒナタ、ロコを見てください」
木下ひなた
言われて初めて、自分が俯きかけていることに気付いた。
ロコ
「アイドルって知ってますか?」
木下ひなた
「あたしたちのこと?」
木下ひなた
ロコさんは首を振った。とてもわくわくしている様子だった。
ロコ
「ノーです。ヒナタ、アイドルって、本当にいたんですよ!」
ロコ
「リユニオンしたら、みんなで一緒にアイドルになりましょう!」
木下ひなた
……分からない。どうしてそんなに、陽気に未来を語れるのだろう。
木下ひなた
あたしたちは広い宇宙を漂流するのだから、また会うことだって、途方もなく難しいのに。
ロコ
「ヒナタ。ロコは、ヒナタのインスピレーションになりたいんです」
ロコ
「ロコのミュージックから、目を離さないでくださいね」
ロコ
「タイトルは、『アトラクティブ・フォース』です!」
木下ひなた
床を蹴る、と予感した次の瞬間には、ロコさんは宙の中を泳ぎ始めていた。
木下ひなた
そして、キーボードを構える。多くの人が、ロコさんの無音楽を待っている。
木下ひなた
言葉は聞こえない。けれど沈黙ではない。
木下ひなた
音の伝わらない宇宙空間で、それでも音楽を感じたい。あたしたちは、そのために作られた。
木下ひなた
そして今、ロコさんはその願いを果たそうとしている。
木下ひなた
宇宙の陽光を透き通った布ようにかき集め、指を動かして、音を超えた心を伝える。
木下ひなた
ロコさんが微笑んだ。無音楽が鮮やかに色付いて弾けては、太陽の粒子と混ざり合う。
木下ひなた
歯車が、不規則に揺らいで、あたしはロコさんから目を離せなかった。
木下ひなた
全身が惹きつけられるような気がした。設定された人格の、とても奥深くにある力学が震えた。
木下ひなた
色とりどりのカーテンが光芒のように降り注いで、その向こうを、ロコさんが泳いでゆく。
木下ひなた
ああ。
木下ひなた
家族が遠ざかっていく。ロコさんはどんどん小さな点になって、そして見えなくなる。
木下ひなた
それでも、繋がっていると思えた。身体が温かくて、まるで呼吸しているみたいだった。
木下ひなた
そして、この知性のゆらぎが真実なら、あたしはロコさんの引力をずっと覚えていたいと思った。
木下ひなた
自分が放出される未来を想像する。あたしは、どんな音楽を表現できるだろう。
木下ひなた
目を閉じれば、りんご色のオカリナが、あたしの部屋で静かにその時を待っている。
木下ひなた
あの美しい風のような音色を、記憶を、世界が澄んでいく清々しさを、どうやって伝えよう。
木下ひなた
あたしたちは惹きあう力で繋がっている。ここにはない冬を想う。その先の春を想う。
木下ひなた
鮮やかな木漏れ日を想う。あたしらしい色を受け取って、無音楽はどこまでだって優しくなれる。
木下ひなた
目を開く。光はまだ続いている。
木下ひなた
触れると、光はくすぐったそうに震えて、それからにっこりと笑った。
木下ひなた
あたしは、ロコさんの笑顔を思い返した。
木下ひなた
ロコさんが楽しそうに笑えた理由が、ほんの少し分かった気がした。
木下ひなた
そして、今度は一緒に笑い合いたいと、あたしは『心』からそう思った。
木下ひなた
また巡り会えるように、どんな宇宙の彼方にだって、きっと届けてみせる。
木下ひなた
あたしだけの、無音のことばを。家族に捧げる、いちばん強い引力を。
(台詞数: 48)