ロコ
小さな丘陵まで伸びるなだらかな坂を登って、そのカフェはちょうど海を見渡せる位置にある。
ロコ
店内には、フランスかぶれのお爺さん店主と、私のふたり。数分の後には、きっとあともう一人。
ロコ
私は今日ここで、友人と会う予定だった。もう半年会っていなかったけれど、十年来の友だちだ。
ロコ
彼女は今日、自身の単独ライブのチケットを渡しにやって来る。
ロコ
私は、それを待っている。
ロコ
風が、雲を踏みしめるような音をたてて、次いで窓を揺らしたので、私は思わず外に目を向けた。
ロコ
住宅地の向こうには、広い海があって、そのまた向こうには、もっと広い空がある。
ロコ
真っ青な遠景の中心で、昼の月がぷかり、と泡のように浮かんでいる。
ロコ
乳白色のカプセルの中には、一匹のうさぎが横たわっている。
ロコ
あのうさぎは、もう死んでしまったのかなあ、なんて考える。
ロコ
すると、ぐったりしていたうさぎは急に眼を開いて、私の方をじっ、と見つめた。
ロコ
その眼はなんだか、勝手に殺すんじゃあないよ。と不満そうに見えた。
ロコ
仕方ないじゃないですか、と独りごちる。だって私は選んでしまったのだから。
ロコ
選ぶということは、たくさんのものを失わなくてはいけないということなのだ、きっと。
ロコ
かつて大事に抱えていたそのうさぎも、いつしか解き放たなくてはいけなくなって……
ロコ
今の私は、遠くへ行ってしまったうさぎに対して、責任を果たさなければならないのだ。
ロコ
それが、生きるということなのだ。大人の中ではまだ初心者な私には、よく分からないけれど。
ロコ
その証拠に、こうして窓を介さなければ、うさぎを視認することすらできないではないか。
ロコ
うさぎが跳ねる。遥か遠くで、何度も何度も飛び跳ねている。
ロコ
太陽の光を風が反射して、その軌跡を足で弾きながら、まるで歌うようにして跳ね続けている。
ロコ
その光景が、なんだかあたたかいものに感じられて。
ロコ
思わず涙が溢れそうになったけど、ぐっと堪える。
ロコ
どういうわけか、私はあのうさぎにだけは涙を見られたくなかった。
ロコ
右の腕で、朧気な視界を拭って、世界をクリアにする。もう一度、空を見上げる。
ロコ
決して触れることはできないけれど、私が心から願えば、そのうさぎは現れる。
ロコ
あの楽しかった日々には絶対に戻れないけれど、私は今でも、一匹のうさぎを想うことができる。
ロコ
うさぎが止まる。風にそそのかされたようにうさぎが口を開く。うさぎが私に語りかける。
ロコ
さあ、目をとじて。
ロコ
言われるがままに瞑目する。
ロコ
言われるがままに瞑目する。
うさぎの声は、それっきり。
うさぎの声は、それっきり。
ロコ
言われるがままに瞑目する。
うさぎの声は、それっきり。
それでも、私は予感している。
うさぎの声は、それっきり。
それでも、私は予感している。
ロコ
そう遠くはない再会と、私のリスタートを。だって、もう立ち止まってはいられない。
ロコ
これから彼女に相対するのだから。私は、仲間に対して誇れる自分でいたいのだ。
ロコ
遠くのラパン・アジルを想いながら、今、この場所で。どうせなら、精一杯耳を澄ませよう。
ロコ
扉のベルが微笑むように鳴り響いて、その波紋は私の耳にもしっかり届いた。
ロコ
足音はゆっくりと近づいて来る。私は背を向けて待っている。
ロコ
彼女はまず、無言で私の向かい側に座るかもしれない。
ロコ
あるいは後ろから肩を叩いて、一言声を掛けようとするかも。
ロコ
彼女と目が合ったとき、私はどんな表情で、何を話すだろうか。
ロコ
失ったものは二度と戻らない。けれど、記憶だけは過去を証明してくれる。
ロコ
私が幸せだったこと。そして、あなたが隣に立っていたこと。ふたりで笑い合ったこと。
ロコ
私が愛した、そして過去に置いてきた、白くて小さな一匹のうさぎは、きっと。
ロコ
きっと彼女が持っている。私は一枚のチケットで、それを確かめに行くのだ。
ロコ
足音が止まる。無音にそそのかされたように記憶が口を開く。私が私に語りかける。
ロコ
さあ、目をひらいて。
(台詞数: 45)