松田亜利沙
さて、遅くなりましたが、埼玉西武ライオンズも監督が決まりましたね!
高槻やよい
秋山さんか宮本さんだと思っていたら、まさかの辻さんでした!
松田亜利沙
ということで、今回は辻発彦新監督についてご説明させていただきます!
松田亜利沙
辻発彦さんは1958年8月9日生まれ、佐賀県小城(おぎ)市出身です
松田亜利沙
実は高校進学前、野球を諦めようかと思っていたそうです……
高槻やよい
いきなりどうしたんですか!?
松田亜利沙
身長が思うように伸びなかったんです……中学卒業時点で161cmしかありませんでした……
高槻やよい
野球選手にしては低いですね……体格で劣ると尻込みしちゃいますね……
松田亜利沙
でも、佐賀東高校時代に強い情熱で練習を積んで、身長が182cmに伸びました
松田亜利沙
甲子園出場は叶いませんでしたが、卒業後は日本通運浦和に進みます
高槻やよい
努力の人なんですね……私も頑張れば、身長伸びるかな……?
松田亜利沙
やよいちゃんはそのままでいいんですよ
松田亜利沙
日本通運では4番を任せられるようになり、守備では三塁手を務めていました
高槻やよい
二塁手じゃなかったんですね
松田亜利沙
二塁手を務めたのは、都市対抗野球大会で1試合だけですね
松田亜利沙
しかし、この試合を見ていたスカウトからは、大型二塁手の素質を評価されているんです
松田亜利沙
そして1983年のドラフト会議にて、西武ライオンズに2位指名され、入団します!
松田亜利沙
社会人時代に目立った実績が無く、上位指名されたことに驚きの声もあったそうです
高槻やよい
辻さんを下位指名していたら、吉井理人さんとかも獲得できたかも……ってことですか?
松田亜利沙
西武入団直後のキャンプで、広岡達朗監督から守備を鍛えられ、新人ながら41試合に出場
松田亜利沙
主に三塁手での出場だったんですが、オフに引退した山崎裕之選手の後釜として二塁手になります
松田亜利沙
1986年には二塁手として全試合に出場し、ベストナインとGグラブ賞をダブル受賞するんです
高槻やよい
石毛選手との「はっちゃんコンビ」は、西武内野陣の象徴でしたね
松田亜利沙
1987年はオープン戦の骨折が響き、51試合の出場にとどまりますが……
松田亜利沙
日本シリーズで魅せた好走塁は、今もファンの語り草になっています!
高槻やよい
優勝目前で泣いていた清原選手を慰めていたのも印象的でした
松田亜利沙
1988年からは選手会長を務め、同年から7年連続で二塁手のGグラブ賞を受賞します
松田亜利沙
1993年に首位打者を獲得するなど、打撃でもチームに大きく貢献していたんですよ
松田亜利沙
しかし、腰痛による成績低迷と約2億円の高年俸、若返りを図りたい球団事情から
松田亜利沙
1995年に戦力外通告を受けてしまうんです……
松田亜利沙
西武はコーチとして迎え入れる用意をしていたんですが、辻選手は現役続行を希望
松田亜利沙
ヤクルトとロッテからお誘いがあったんですが、辻さんはヤクルトに入団します
高槻やよい
なんでロッテじゃなかったんでしょうね?広岡さんがGMをしていたはずですけど……
松田亜利沙
先にオファーを出していたことと、野村監督の下で勉強したい気持ちがあったんでしょう
松田亜利沙
移籍1年目は首位打者争いに絡むほどの大活躍を見せましたが、寄る年波には勝てず
松田亜利沙
代打の切り札と、稲葉選手や宮本選手など若手をサポートする役割を担いました
高槻やよい
二人とも後に名球会入りを果たしていますね
松田亜利沙
そして1999年、16年に及ぶ現役生活を終えました……
松田亜利沙
引退後はヤクルト、横浜の守備・走塁コーチを歴任
松田亜利沙
横浜時代は内川選手(現・ソフトバンク)を育てたことでも知られています
松田亜利沙
2006年にはワールド・ベースボール・クラシック日本代表の内野守備・走塁コーチを務め
松田亜利沙
2007年からの10年間、中日でコーチ・二軍監督を務めたんです!
高槻やよい
気付いたんですけど、今まで一度も西武のコーチをしたことが無いんですね
松田亜利沙
現役時代はスター選手でしたけど、指導者としては完全に外様です
松田亜利沙
それゆえ、現役選手と上手くやっていけないのではないかと心配する声もありますね……
高槻やよい
管理野球の伊原監督みたいに休養に追い込まれなければいいんですけど……
松田亜利沙
でも、西武に新たな風を送り込んでくれる人だと思っています!
高槻やよい
甲子園優勝投手の今井投手も来てくれますし、来年に期待しましょう!
(台詞数: 48)