北沢志保
「店長、オーダー入ります!」
水瀬伊織
「了解。あ、伝票はそこに置いといて頂戴」
北沢志保
深緑の喫茶店は訪れた人々で溢れ返り、私たちはてんやわんやの天手古舞。
北沢志保
いつかの閑散とは一転してこの盛況。まるで魔法を使ったのかと錯覚するほど。
北沢志保
なぜこんなにも変わったのか。
北沢志保
思えば、全ての始まりはあの日だった。
北沢志保
目を赤くした店長を労って、代わりに私が店番をしていた――あの日。
北沢志保
カランカランとベルが鳴って、グルメ雑誌の記者を名乗る方々がやってきた。
北沢志保
どうやら道に迷ったらしく、周辺を散策していた際に、偶然この店が目に留まったという。
北沢志保
道を尋ねる為だけに寄ったらしいのだが、時間もお昼時ということもあり、
北沢志保
そのままランチでも――という流れになったので、私は大慌てで店長を呼びに走った。
水瀬伊織
「ご注文は何がいいかしら? メニューはないけど大抵何でも作れるわ」
北沢志保
その言葉に面を食らったのは私だけではないだろう。
北沢志保
しかし、店長は記者の方々のリクエストに上々応えてみせたのだった。
北沢志保
――それからというものの、連日この調子である。
北沢志保
「こうなると新しい従業員さんが欲しいですね」
水瀬伊織
「まったくね。今は猫の手も借りたいくらいよ」
北沢志保
そう言って、店長は徐ろにネコ耳を着け始めて――
水瀬伊織
「にゃん♪」
水瀬伊織
――――――
北沢志保
座っていたら、いつの間にか舟を漕いでいたようだ。
北沢志保
時計を見ればお昼時。店内はいつものように閑散としている。
北沢志保
「……」
北沢志保
「……にゃんって」
北沢志保
変な夢だった。店長ごめんなさい。
北沢志保
「……?」
北沢志保
窓の向こうでカリカリと音が聞こえる。
北沢志保
「ネコさん?」
北沢志保
夢の元凶となった黒猫が私を呼んでいた。
北沢志保
きっとお腹が空いたのだろう。小走りで裏口へと向かい、ゆっくりと扉を開く。
北沢志保
「いらっしゃいませ、ネコさん」
北沢志保
「ご注文をどうぞ。キャットフードしかございませんが」
北沢志保
極々小さな声で出迎えた。実は密かなマイブームだったりもする。
北沢志保
「でも、ごめんね」
北沢志保
入店しようとする小さな頭を指で制した。
北沢志保
招き入れたいのは山々なのだが……。
北沢志保
黒猫は反抗することなく大人しく従い、与えられたご飯を食べ始めた。
北沢志保
傷は塞がり、包帯も少しずつ取れ始めている。真の黒猫となれる日も、そう遠くはなさそうだ。
北沢志保
「……」
北沢志保
顔を上げて、ぐるりと辺りを見渡す。
北沢志保
静かだ。まるで本当に時間を置き忘れたかのよう。
北沢志保
ラジオのニュースでは真夏日を記録したと言っていた。
北沢志保
きっと違う世界の話なのだろう。
北沢志保
だって木漏れ日を全身で受け止めても……ほら、こんなにも心地良い。
北沢志保
目を閉じ、風を感じて――歌を歌ってみる。
北沢志保
どこまでも深い緑は、現を徐々に忘れさせていくようだ。
北沢志保
しかし、そう感じたのも束の間。
北沢志保
ポケットに入れていた電話が不意に鳴った。取り出して確認する。
北沢志保
着信相手は矢吹可奈。
北沢志保
私の友人だ。
(台詞数: 50)