四条貴音
「こちらの席は、空いておりますか?」
最上静香
横合いからかけられた声の主を見て、私は体を固くしてしまった。
最上静香
…どうも、貴音さんが相手となると、身構えてしまうわね。
最上静香
もちろん、嫌いだというわけでもなくて、以前のことを恨みに思っているわけでもなくて。
最上静香
ただ、なんとなく居心地が悪いというか、気まずいというか…。
最上静香
もっとも、それだけでは断る理由にはならないので、私は平然を装って。
最上静香
「…どうぞ。」
四条貴音
「それでは、失礼いたしますね。」
最上静香
私の返答を受けて、貴音さんも悠然とした感じで席についた。
最上静香
翼と琴葉さんの試合は、劇場の通常公演の最後に組み込まれている。
最上静香
それまでの時間を、ステージを眺めながら、私たちは無言で過ごした。
最上静香
やがて時間が来て、アナウンスによって、第一試合の開始が告げられる。
最上静香
「先攻後攻は、試合前に順位の高い人が決めるって聞きました。」
四条貴音
「はい。その通りです。となれば…。」
最上静香
私の予想では、先攻で出てくるのは…。
伊吹翼
「は~い!私から行くよ~!」
最上静香
やっぱり、翼が出てきた!
最上静香
このトーナメントに向けて、翼が珍しく気合を入れて練習していたのを覚えている。
最上静香
それは、憧れの美希さんと同じ場所に立ちたいという、翼ならではのモチベーションの表れ。
最上静香
だったら、どっしりと構えるよりは、前に出てくる方が翼らしいものね。
伊吹翼
「聞いてください。『恋のLesson初級編』!」
最上静香
翼の十八番に、観客のテンションも急上昇していくのを感じる。
伊吹翼
『I meet U 恋の Yes/No 主導権ははんぶんこで♪』
最上静香
その期待を裏切らない力強い歌声が、観客席の奥まで響いてくる。
最上静香
…今までにない気合の入れ方に、少しだけ心配していたところはあったんだけど。
最上静香
やっぱり、走りすぎるとか固くなるとかは、翼には似合わないわね。
最上静香
気持ちが入れば入るほど、キレと伸びを増していくのが、翼の真骨頂と言える。
伊吹翼
『ねぇ、はしゃぐココロがうるさいの わたしだけ? そうじゃないよね?』
最上静香
ダンスはダイナミックながら繊細を兼ね備え、セクシーさも押し出している。
最上静香
それでいて、無邪気な笑顔と可愛らしさがあるから、いやらしさを全然感じさせないのも凄い。
伊吹翼
『キミをリサーチ中 自分のことフツウなんて言わせないから♪』
最上静香
悔しいけど、天才という人種がいるとすれば、それは翼のことなんだなって思ってしまう。
最上静香
それほどに、翼のパフォーマンスには、魅せられるものがあった。
伊吹翼
『ふたりトクベツになろうよ 約束ね!ゆびきりのKISS?初級編おしまい CHU♪』
最上静香
最後にとびっきりの笑顔を残して。歌が終わった。
最上静香
会場を揺るがすような拍手は、大きく、温かく、興奮にあふれている。
四条貴音
「流石は翼。見事以外の言葉が見当たりませんね。」
最上静香
貴音さんの言葉に、私も同感だった。
最上静香
もし翼と私の両方が勝ち上がれば、この先対戦する可能性もあるけれど、今はただ褒め称えたい。
四条貴音
「ふふっ…。」
最上静香
ふと、貴音さんがこちらを見て、微笑んでいるのに気がついた。
四条貴音
「良き顔です。心気が充実しているのを感じますね。」
四条貴音
「他人の良きところを素直に認め、賞賛できるというのは、心に芯が通っている証拠。」
最上静香
貴音さんの、翼ではなく私に対して次々と並べられる褒め言葉に、驚いてしまった。
四条貴音
「これは、明日にも期待が持てるというもの。」
四条貴音
「紗代子との試合は、間違いなく大会屈指の好勝負となるでしょう。」
最上静香
しかし、すぐに言葉は途切れ、その表情は一転して曇ってしまう。
四条貴音
「…それだけに、真に惜しい。」
最上静香
そして、全てを暗い予感に変えてしまいそうな、不吉なつぶやきをひとつ。
最上静香
…そこにどんな気持ちが込められているのか。今の私には、窺い知ることすらできなかった。
(台詞数: 50)