木下ひなた
藪に埋もれかけた林道を通り抜ける風は、残暑の蒸せる様な暑さを孕みながらも
木下ひなた
少しばかりひんやりと、木々の瑞々しい香りを運ぶ。
四条貴音
「もう少しですよ、木下ひなた」
木下ひなた
獣道の如きを意にも介さずゆったりと歩む貴音お嬢さんが、振り向いて優しい笑みを向ける。
木下ひなた
まるで田舎の野山を駆け回っている様な懐かしい気分に加えて
木下ひなた
貴音お嬢さんの秘密の抜け道を一緒に歩いている、それが何とも嬉しくて
木下ひなた
頬が帯びる熱を感じながら、気持ちが昂るのを抑えきれない。
木下ひなた
木洩れ日が少しずつ明るさを増し、行く手よりの風はやがて
木下ひなた
草木の噎せる匂いから、潮の香りへと変わり
木下ひなた
遂に視界の開けたそこには
木下ひなた
突き抜ける青い空と
木下ひなた
広く、深く、蒼を湛える、海。
木下ひなた
淡く碧がかった田舎の海と違ってそれは
木下ひなた
心まで吸い込まれそうな
木下ひなた
何処までも、果てまでも、蒼い海だった。
木下ひなた
草叢を掻きわけながら斜面を下る貴音お嬢さんの後を追う。
四条貴音
幾重の波の弾く陽光が、風にはためく銀に絡みつき
木下ひなた
きらきらと、乱れ煌めく。
四条貴音
砂浜に着くと彼女は、履いていたミュールを脱いで手に持ち、素足で砂上を歩き始めた。
木下ひなた
「あやや、砂浜さ熱いんでないかい?」
木下ひなた
驚いて素っ頓狂な声を上げた私に、彼女は
四条貴音
一段と優しげな、しかしどこか悪戯っぽい笑みを、私に向けた。
木下ひなた
思わず意表を突かれて引きつった笑いを返してしまい、赤面する。
木下ひなた
彼女の手招きに誘われて、私も倣ってサンダルを脱ぎ、白砂に裸足をそっと乗せると
木下ひなた
やはり熱いのだが、それは構えた程のものではなく
木下ひなた
じんわりと伝わって来るその熱には、夏の名残が詰まっていた。
四条貴音
髪を掻き分けながらゆっくりと歩む彼女の後を
木下ひなた
少しだけ離れて、ぱたぱたと、砂を蹴り上げながらついて行く。
四条貴音
彼女は時折、小さく片足を上げながら
四条貴音
スカートの砂を、払う。
木下ひなた
その仕草に心奪われながら
木下ひなた
不意に、風が一層の湿り気を孕んできた事に気付いて頭上を見上げると
木下ひなた
次第に空を覆いゆく、灰色の雲。
木下ひなた
さらさらと落ち始めた雨は、忽ち強さを増して、二人に降りそそぐ。
木下ひなた
何故か私は
木下ひなた
驟雨を逃れようともせず
木下ひなた
両の手を上に伸ばし、掌をかざして天を仰ぎ
木下ひなた
そちらに目を向けるでなしにも
四条貴音
彼女もまた、空を仰いでいるのがわかった。
木下ひなた
やがて雨は緩やかに、ぱらぱらとしめやかに。
木下ひなた
雲間から射すオレンジがかった陽射しに照らされた二人の顔は
木下ひなた
まるで示し合わせたかの様に
四条貴音
悪戯を見付かった子供の様に照れ笑いを浮かべて、顔を見合わせた。
四条貴音
すい、と濡れた髪を手で鋤いて、またあの優しい笑顔に戻り
四条貴音
「冷えない内に戻りましょう。きっと、二階堂千鶴が案じております」
四条貴音
そう言って彼女が差し伸ばした手を
木下ひなた
私はちょいと掴んで
木下ひなた
今度は二人並んで
木下ひなた
もう乾き始めている砂の上を
木下ひなた
足跡を辿るように、歩き始めた。
(台詞数: 50)