四条貴音
「さて、まずは桃子に渡すものがあります。」
周防桃子
貴音さんが桃子に差し出したのは、ケースに入った1枚のディスクだった。
周防桃子
これは…。
四条貴音
「桃子の考えている通り。準決勝で桃子が歌う曲が、この中に入っております。」
周防桃子
昨日と今日の午前中も練習はしていたけど、準決勝の歌はなぜか桃子にも秘密にされていた。
周防桃子
もちろん抗議したけど、貴音さんは「わたくしに考えがありますので」の一点張りで。
周防桃子
レッスンも振り付けの練習がほとんどで、貴音さんの手拍子に合わせて踊っていたんだけど…。
周防桃子
桃子は、ディスクをケースから取り出して、練習場のプレーヤーにかけてみた。
周防桃子
…さて、どんな曲が入ってるのかな?
周防桃子
桃子も他のみんなも、一回戦で持ち歌を歌ったから、これからは曲の選び方も重要になる。
周防桃子
「…。」
周防桃子
ほんの少し、読み込みの時間の後で、スピーカーから流れだしたのは…。
周防桃子
これは…この曲は!?
周防桃子
「…これを、桃子が歌うの?」
周防桃子
桃子の問いかけに、貴音さんはにっこりと笑って。
四条貴音
「ええ。桃子ならば、きっと己のものとすることができますよ。」
周防桃子
と、まるで簡単なことのように言うので、桃子は返す言葉をなくしてしまった。
周防桃子
そして、本格的な練習が始まって。
四条貴音
「…桃子、動きが固いですよ。上手くできないことを怖がらずに、もっと大きく、しなやかに。」
周防桃子
前にも言ったけど、貴音さんのレッスンはかなりきびしい。
四条貴音
「踏み込みが甘い。後で楽をする為に、その場を小器用に立ち回るのはおやめなさい。」
周防桃子
桃子が気を抜いたり手を抜いたりすると、それを見逃さずに、貴音さんから注意が飛んでくる。
周防桃子
口調はおだやかだけど、桃子の甘さをビシビシ突いてくるから、まるで心をムチで打たれるみたい。
周防桃子
それでも、桃子は貴音さんとのレッスンで、充実感を感じていた。
周防桃子
まず、貴音さんの教え方は、どこまでもていねいだった。
周防桃子
「じゃあ、どうすればいいの?ここで強く踏み込むと、元の位置に戻るのがギリギリなんだけど。」
四条貴音
「そこは、一拍遅れても良いのです。慌ただしくするよりは、余程見栄えがよろしい。」
四条貴音
「わたくしが手本を見せます。まず、ここは…」
周防桃子
こんな感じで、桃子が質問すれば納得するまで説明してくれるし、自分がお手本となってくれる。
周防桃子
目の前で実際にやってみせるのだから、これほどわかりやすい教え方もない。
周防桃子
それに、貴音さんは桃子が知らないテクニックをたくさん教えてくれた。
周防桃子
その中には、いつものレッスンでは教わらないようなものもたくさんあった。
周防桃子
そのひとつひとつが自分を成長させてくれる実感があって、桃子はそれがうれしくて、楽しかった。
周防桃子
でも、それより…ううん、何よりも。
四条貴音
「どうしましたか、桃子。もう、限界ですか?」
周防桃子
疲れきって、床にヒザをついた桃子に、貴音さんは。
四条貴音
「立てないのならば、ここでおしまいにしますか?」
周防桃子
まったく、イヤになるくらいに、甘さのかけらもない。
四条貴音
「舞台に立つ者を羨みの目で見上げることに耐えられるのならば、それも良いでしょう。」
四条貴音
「いいえ、それに耐えられるものならば、そもそもわたくしたちはこの場に立ってはいません。」
四条貴音
「その屈辱よりも、血を吐く程の苦しみや、身を捩る程の痛みに耐える道を選ぶ。」
四条貴音
「わたくしも、桃子も。生まれは違えど、そのように成ってしまったのですよ。」
四条貴音
「ですから、立てる筈です。周防桃子、誇り高き子よ。」
周防桃子
この765プロに、桃子に優しくしてくれる人、気づかってくれる人は、何人もいる。
周防桃子
でも、こうやって桃子をふるい立たせてくれる人は、貴音さんがはじめてだった。
周防桃子
「まだ、まだやれるよ…!」
周防桃子
そうやって、気合で立ち上がった桃子を。
四条貴音
「ふふっ…。真に、良き子です。桃子は。」
周防桃子
なぜか、貴音さんは優しくきゅっと抱きしめるのだった。
(台詞数: 49)