周防桃子
春香さんのステージが終わって、次は琴葉さんの番。
周防桃子
ステージ上に現れた琴葉さんの顔には、少し緊張が見える。
周防桃子
どうやらMCはやらないで、このまま歌に入るみたい。
四条貴音
「これは、いけませんね…。」
周防桃子
貴音さんのつぶやいたのを聞いて、桃子はそちらをふり向いた。
周防桃子
「いけないって、何が?」
四条貴音
「琴葉は周りが見えていません。ちょうど、静香との一戦の前の桃子のように。」
四条貴音
「ここは、一拍間を置いて、空気が沈静するのを待つべきであったのですが…。」
周防桃子
その意味を聞く前に、イントロが流れ始めたので、貴音さんは口を閉じてしまった。
周防桃子
これは、『朝焼けのクレッシェンド』だね…。
田中琴葉
『微睡みは夜明けを感じて 瞼を熱が撫でる』
田中琴葉
『満ちてゆく今日のはじまりに そっと誓う そんな夢を見てた』
周防桃子
琴葉さんの調子は悪くない。むしろ、良いくらいだった。
周防桃子
のびのびとした歌声と、琴葉さんらしさを感じるまっすぐな歌詞。
田中琴葉
『開く扉の前 怖くて 泣いた昨日 過去形に変わる わたしで目覚めよう』
周防桃子
…あれ?
周防桃子
お客さんのノリが、春香さんの時より良くない気がする。
田中琴葉
『叶えたい想いに純粋なまま 朝焼けは高鳴りへのクレッシェンド』
田中琴葉
『抱きしめた自分を信じているよ わたしが わたしでいれるように』
周防桃子
うーん…ミスらしいミスもない。琴葉さんもここまでカンペキにやってると思う。
周防桃子
それなのに、なんで…?
田中琴葉
『信じたい明日に踏み出すために 今できるすべて追いかけて』
田中琴葉
『毎日をかけがえない今日にしよう わたしは わたしの情熱で』
周防桃子
…ああ、なんとなくわかった。
周防桃子
琴葉さんも確かに歌はカンペキ。そして、ファンも盛り上がってないわけじゃない。
周防桃子
でも、なんというか…春香さんの時のような、『熱』が足りない気がする。
田中琴葉
『叶えたい想いに純粋なまま 朝焼けは高鳴りへのクレッシェンド』
田中琴葉
『抱きしめた自分を信じているよ わたしが わたしでいれるように…』
周防桃子
…歌が終わった。
四条貴音
「…琴葉の悪い部分が出ましたね。」
周防桃子
ぽつりと貴音さんがつぶやいた言葉が、歓声と拍手の中でやけに大きく聞こえた。
四条貴音
「敵わぬのを承知の真っ向勝負。潔いのは一種の美徳と言えましょうが…。」
周防桃子
「敵わないって?琴葉さんは、最初から負けるつもりだったってこと?」
周防桃子
「たしかに、春香さんのレベルは高かったかもしれないけど…。」
周防桃子
桃子のその言葉に、貴音さんはこちらをふり向いて。
四条貴音
「おや…。桃子は理解しているものと思っておりましたが、それでは半分だけですね。」
周防桃子
…半分?春香さんのすごさは、まだ他にあるってこと?
四条貴音
「対戦相手としてステージに立てば嫌でも解る事ですが…。」
四条貴音
「…その前に、結果を見てからにいたしましょうか。」
周防桃子
言われてみると、モニターに投票結果が表示されているところだった。
周防桃子
天海春香101票。田中琴葉60票。
周防桃子
これは…桃子と静香さんの時以上に差が付いた。大負けと言ってもいいくらい。
周防桃子
しかも、二人とも持ち歌を歌っているわけだから、桃子の時とちがって条件は互角なのに。
四条貴音
「行きますよ、桃子。続きは練習場で話すといたしましょう。」
周防桃子
「…うん、わかった。」
周防桃子
貴音さんについて会場を出ていくとき、桃子は少しだけステージをふり返った。
周防桃子
春香さんと握手する琴葉さんの姿が見える。少なくとも、その顔だけは笑顔で。
周防桃子
「もしかすると、桃子も琴葉さんのように…。」
周防桃子
貴音さんがいなければ、琴葉さんの姿は、そのまま桃子の姿だったのかもしれない。
周防桃子
その寒気のするような想像をふり払って、桃子は貴音さんの後ろを追いかけた。
(台詞数: 50)