秋月律子
慣れ親しんだハンドルをより丁寧に握り、慎重に周囲を見渡す。
秋月律子
いつも以上に万が一があってはならない。若干の緊張感を持って、車を走らせる。
秋月律子
プロデューサー補佐なんて、要は使い走りの雑用係。そんな事、とっくに承知していたけれど。
三浦あずさ
「…」
秋月律子
隣の彼女は黙って助手席に座ったまま。何も言わないのは疲れているせいなのか、それとも。
秋月律子
「…起きてます?そろそろ着きますよ。」
三浦あずさ
「あ…ええ、大丈夫ですよ。」
秋月律子
…これから会う恋人と過ごす時間に、想いを馳せているからか。
秋月律子
好きな人が出来たんです。生涯ずっと、一緒にいたいと思えるー打ち明けられた時は腰を抜かした。
秋月律子
呆然とする私を尻目に、プロデューサーと社長は前後策を打ち合わせ、話を進めて。
秋月律子
会議の結果、事務所は彼女の意思を尊重する事になった。
秋月律子
今すぐは無理でも、いずれ相手との結婚を念頭に置いて今後は活動させる。
秋月律子
そうした方針を決める一方、彼女にも条件をつけた。相手と会う時は必ずこちらに連絡すること。
秋月律子
バレにくい為にも極力外や彼女の家で会わない事。出来れば相手の家でだけが望ましい。
秋月律子
妥当な措置だろう。万一を思えば彼女を守る為にもこれくらいは当然だ。
秋月律子
……ただ、彼女が相手に会いにいく時の送迎役をやらされる羽目になるとは思っていなかったが。
三浦あずさ
「本当に申し訳ありません、いつも律子さんにこんな役やらせてしまって。」
秋月律子
「気にしないで下さい。アイドルを守るのは私の仕事なんですから。」
秋月律子
…そう。間違いなく本心だ。単に仕事だからではない。大切な、アイドルの為に。けれどー
三浦あずさ
「…律子さん?」
秋月律子
「え?あ、ああ何でもないですよ。さ、着きました。彼とのお家デート、楽しんで来て下さい?」
秋月律子
それじゃ、とあずささんは車を降りる。後ろ姿にもはっきりわかるくらい、うきうきしながら。
秋月律子
これから彼女はきっと、相手との短い逢瀬を慌ただしくも幸せに過ごすのだろう。
秋月律子
そう。その時はきっと、私には見せたことのないような笑顔を、相手に向けてー
秋月律子
「馬鹿馬鹿しい。何考えてるのよ、恋人と私とじゃ態度が違うのが当然じゃない…」
秋月律子
…恋人。そう、恋する人。愛する存在、大切な人。
秋月律子
彼女には、そういう相手がいる。私や、事務所の仲間ではない。たった一人、彼女にだけ、特別な。
秋月律子
…彼女を羨ましいとは思わない。今は仕事が大変で、そんな相手を欲しいという気すらしない。
秋月律子
相手に嫉妬!?まさか、冗談じゃない。私にそんな趣味はない。
秋月律子
でも。だとすれば、これはいったい…
秋月律子
「…ええい。考えても意味ないわ、さっさと帰るわよ!」
秋月律子
…きっと疲れている。だから、こんなふうに考える。それだけだ。
秋月律子
帰ってお風呂に入って、お気に入りのアロマを焚いて。それからぐっすりと眠ろう。そうすれば。
秋月律子
そうすればきっと大丈夫。そうすればまた、いつも通りの仕事と私に戻れるんだ。
秋月律子
そう。それだけの事。疲れから来るちょっとした事だ。なのに―
秋月律子
どうして、こんなに苦しいのだろう。
秋月律子
どうして、こんなに寂しいのだろうー
(台詞数: 37)