我那覇響
イシブミには百の獣が憑いていた。
我那覇響
それが彼女のイシブミたる所以であり、疑うのは無意味だろう。
我那覇響
現に彼女はイシブミなのだ。故に彼女はイシブミである。
我那覇響
彼女はこの土地で唯一、生まれた意味を持つ存在でもある。
我那覇響
生を受けた者はいつか死を迎える。しかしそれは、生まれた意味を持たない者の話だ。
我那覇響
意味もなく生まれた為、意味もなく死ぬ。だがイシブミは死なない。
我那覇響
イシブミの遥か先、黒くうごめく群れ。
我那覇響
兵士たちは最適化された死の行進を繰り返す。
我那覇響
最適なのだからその大義は疑われない。力尽きるまで歩き続ける。
我那覇響
兵士たちの巡回ルートは改善の兆しを見せない。
我那覇響
つまり彼らもまた、ここに辿り着くのだろう。
我那覇響
イシブミはその光景を眺めていた。
我那覇響
時を待った。金烏が墜ち、玉兎が跳ねる。
我那覇響
六十四段の塔を崩して積み直すのにも飽きた頃、ようやく兵士たちはやって来た。
我那覇響
黒い群れ、としか形容しがたい。それほどに彼らは無個性だ。
我那覇響
几帳面にも、彼らには一列に並んで行進する習性がある。
我那覇響
その足並みは精妙なまでに規則的にずれていて、地に這いつくばるムカデを連想させた。
我那覇響
イシブミは静かに目を閉じた。変わらない運命を嘆くように。
我那覇響
気に入らないものからは目を背ければ良い。観測されて初めて世界は存在する。
我那覇響
それはそれで正しいのだが、いささか身勝手が過ぎるように思う。
我那覇響
イシブミは、逃避するために生まれた訳ではないのだから。
我那覇響
彼女は諦念の瞳を開く。
我那覇響
観測されなかったはずの兵士たちは、もう目前まで迫っていた。
我那覇響
射す陽の光へと手を伸ばした。その背中に百の獣を幻視する。
我那覇響
五指の隙間から光が四条に分かたれる瞬間を、彼女は止めない。
我那覇響
銀の弾丸が御旗を砕いた。
我那覇響
絹毛鼠の霊は去った。
我那覇響
千の毒牙が槍の如く降った。
我那覇響
蟒蛇の霊は去った。
我那覇響
迸る紅蓮が獣毛の如く靡いた。
我那覇響
尨犬の霊は去った。
我那覇響
鉛灰が羽毛の如く大地を覆った。
我那覇響
鸚鵡の霊は去った。
我那覇響
兵士の誰かが口にした。獅子、と。
我那覇響
百獣を束ねし、勇猛なる獣。
我那覇響
風に翻る青藍。それは王の端厳。
我那覇響
だが、それを称える者はいない。
我那覇響
兵士たちは息絶えた。もはや王の前に立つものは、何もない。
我那覇響
──哀愁? 違うな。
我那覇響
僕、メフィストフェレスは嗤う。
我那覇響
──苦しみだけがお前を、お前以上の存在にしてくれるのだ。
我那覇響
生命なき荒野のイシブミは──
我那覇響
少女のように、儚く微笑んだ。
(台詞数: 43)