春日未来
気付けば信号機がまた赤に変わってしまっていた。
春日未来
やっぱり調子が悪い。ふぅっと青空へ息を吐き、近くの公園で休むことにした。
春日未来
自販機でお水を買って、ベンチにへたり込む。
春日未来
夕方なのに空は明るくて、日差しも強い。喉を通る水はクタクタになった体を癒してくれた。
春日未来
「……私の言ったこと、おかしかったかなぁ」
春日未来
劇場での出来事を振り返ると、ペットボトルのふたを閉める力が弱くなる。
春日未来
プロデューサーや静香ちゃんの言っていることは分かる。だって、ソロライブは一人でやるもの。
春日未来
でも、一つのライブで交代で歌った方が楽しいはず。そのためにわざわざオーディションなんて……
春日未来
『お姉ちゃん!そこどいて!』
春日未来
突然かけられた声に身体がびくりと飛び上がる。
春日未来
『そこ、わたしのハンカチが置いてあったでしょ?それ!』
春日未来
立ち上がると確かにハンカチがあった。ごめんね、と手に取ったところであることに気付く。
春日未来
「……もしかして、泣いていたの?」
春日未来
手の中の湿ったハンカチと腫れぼったい目。女の子は、くしくしと目をこするとふいと顔を背けた。
春日未来
「お姉ちゃんでよければ話を聞くよ。さっ、座って」
春日未来
ベンチの端に座り直し、ポンポンと隣を叩く。女の子はおずおずと腰を下ろした。
春日未来
「そっか、お友達が……」
春日未来
『うん。バレエでね、ずっと一緒にレッスンしてたの。でも急に一人でやり始めて……』
春日未来
女の子は私が渡したお水をごくりと飲んだ。
春日未来
『きらいになったの?って聞いても違うって言うし。わたし、もう分からなくなって……』
春日未来
『先月の発表会だって、わたしが一番になったら誉めてくれたんだよ!それなのに……』
春日未来
……なるほど、もしかして
春日未来
「ねぇ、お姉さんが今から歌うからそこで見てて」
春日未来
『えっ?歌うってここで?どうして!?』
春日未来
「いいから!こう見えてもお姉さん、アイドルなんだよ!いくよ~、"素敵なキセキ"!」
春日未来
パッとベンチから立ち上がり、ペットボトルをギターに見立てて芝生の上でかきならす。
春日未来
初めはあっけに取られていた女の子も徐々にノッてきた。私が手拍子を求めると応えてくれる。
春日未来
気付けば観客が増えていた。散歩のおじいちゃんに、買い物オバさん、サッカー少年。
春日未来
やっぱり楽しいなぁ。みんながこうやって私だけを見てくれて、応援してくれて。
春日未来
……私、だけを?
春日未来
口でエンドロを入れて右目の前でピースを作ると、即席の観客席から大きな歓声が上がった。
春日未来
すっかりぬるくなった水を口に含んで女の子のもとに駆け寄る。
春日未来
『お姉さん、すごい!ホントにアイドルなんだね!』
春日未来
「でへへ~、ホントにそうなんだよ~」
春日未来
『わたしもお姉さんのようになりたいなぁ』
春日未来
「それだよ。きっとお友達もあなたのようになりたかったんじゃないかな」
春日未来
「発表会の時、みんながあなただけを見てたはず。きっとそれがうらやましかったんだよ」
春日未来
女の子はぼぉっと私の顔を見たあと、そっかぁと顔をほころばせた。
春日未来
「お友だちに負けないようにレッスンしないとね。約束できる?」
春日未来
私が小指を差し出すと、元気な返事とともに小さな小指が絡んできた。
春日未来
「よーしっ!じゃあ、お礼にもう一曲歌っちゃうよ!」
春日未来
『お礼?わたし、なにもしてないよ?』
春日未来
「ううん、あなたはとっても大事なことを気付かせてくれたの!じゃあ、いくよ~、"未来飛行"」
春日未来
大きく腕を振り上げて青空へ向けてピンと指を立てる。
春日未来
手拍子が始まる。そう、今この瞬間、ここの人たちは私だけを見ていてくれる。
春日未来
この感覚は私だけのもの。他の誰にも渡したくない。それはみんな一緒だよね。
春日未来
向こうに見える信号機が青へと変わる。横断歩道を渡る長髪の女の子が私に気付いた。
春日未来
一緒に歌えば気持ちいいだろう。一緒に歌えば楽しいだろう。でも、今日はダメ。
春日未来
だって、ここは私のステージ。たった一人のカーテンコールが終わるまで、誰にも絶対に譲らない。
春日未来
だから、曲よ、ステージよ、いつまでも終わらないで。
(台詞数: 50)