ミとラの音が出ない夢
BGM
瞳の中のシリウス
脚本家
nmcA
投稿日時
2017-05-01 23:22:01

脚本家コメント
たまにはドラマシアターであまりみない話を。
お口に合えば。

コメントを残す
最上静香
おもちゃのピアノの音がする。
最上静香
この音は覚えている。小さな頃に買ってもらったおもちゃのピアノだ。
最上静香
幼稚園の時、祖母にねだって買ってもらって毎日毎日弾いてたピアノ。
最上静香
先生は母だった。母は何でも弾けた。
最上静香
チューリップ、ちょうちょ、アンパンのヒーローアニメや魔法少女アニメの歌だって。
最上静香
いつしか私も弾けるようになっていた。そして、自分のピアノに合わせるように歌った。
最上静香
思えば、あの頃に歌を歌う楽しさを覚えたのかもしれない。
最上静香
しかし、どうしてだろう。
最上静香
おもちゃのピアノからミとラの2つの音だけが全く聞こえてこないのは。
最上静香
ーースマホのアラーム音で目がさめる。いつの間にか寝ていたようだ。
最上静香
家事に集中してしまうからと点けていたアラームだったがまさかこういう形で役に立つとは……。
最上静香
しかし、懐かしい夢だった。
最上静香
あのピアノはまだ残っているだろうか。確か音が出なくなって使わなくなった覚えがあるけれど。
最上静香
いや、感慨に耽っている場合じゃない。すぐに着替えてしまわないと。
最上静香
幼稚園まで自転車で20分。時間に余裕はあるけど、早く行くことに越したことはない。
最上静香
私はエプロンを椅子にかけ、寝室へと向かった。
最上静香
ーー台拭きを洗い終えて、キッチンの電気を落とす。リビングでは旦那がニュースを見ていた。
最上静香
TVから重厚な音が流れている。先日のピアノコンクールの様子らしい。
最上静香
『静香も昔ピアノを習っていたんだっけ?』
最上静香
私は、ええと答えて隣に座る。TVの中ではトロフィーを持つ少女が人目を憚らず泣いている。
最上静香
『やっぱり習わせたい?こういうのって早い方が良いって聞くし』
最上静香
旦那は、俺はよく分かんないんだけど、と付け加えた。
最上静香
「そのうちでいいけど習わせたいわ。ピアノは色んなものに通じるから。楽器だけじゃなくてね」
最上静香
番組は次のニュースを流し始めた。ポップで軽妙な音楽。流行りのアイドルユニットだ。
最上静香
『へぇ、楽器だけじゃないっていうと……歌とかか?この子達みたいに』
最上静香
「……そうね。きっとこの子達の多くはピアノに触れているんじゃないかしら。私みたいに」
最上静香
最後の言葉が余計だった。後悔したときにはもう遅い。旦那が身を乗り出していた。
最上静香
『私みたいにって、静香もアイドルを目指していたことがあったの?』
最上静香
「……ええ、おかしいかしら?」
最上静香
『いや、別に。でも意外だなとは思うよ。そういう無謀なことはしそうに見えないから』
最上静香
ーー湯船にゆっくりと浸かる。今日という日もまた終わりを迎えようとしている。
最上静香
……どうして口を滑らせてしまったのだろう。もう10年以上前の蒼い思い出を。
最上静香
旦那は無謀だといった。似たようなことはあのとき父にも言われた気がする。
最上静香
反抗することだってできた。例えば一年だけでいいからと頼み込むとか。
最上静香
でも、私は動かなかった。父の言いたいことが、気持ちがが分かったから。
最上静香
……
最上静香
もし、もしあのときアイドルを目指していたらどうなっていただろう。
最上静香
デビューできただろうか。CDは出せただろうか。ライブができただろうか。
最上静香
目をつぶってしばしその姿を想像する。
最上静香
しかし、何も思い浮かべることはできなかった。
最上静香
ーー髪を乾かし寝室に入る。旦那はブックライトを点けて本を読んでいた。
最上静香
寝ている娘の髪をひと撫でし、布団に入り込んだとき、隣から声が飛んできた。
最上静香
『なぁ、アイドルにならなくて後悔しているか?』
最上静香
私は、旦那のいう意味が掴めずすぐに答えられなかったが、しばらくして、いいえと答えた。
最上静香
旦那はそうかと答えると、本のページをめくった。
最上静香
後悔なんてない。後悔は挑戦した人にのみ使うことが許された言葉だから。
最上静香
あのとき、もう一つの未来へ進まなかった私にはそれを後悔することなんてできない。それに……
最上静香
「私は、今のこの生活が幸せだから」
最上静香
旦那が本から目を外してチラリとこちらを見た。
最上静香
私は、おやすみなさいと言って幸せ現実から幸せな夢の世界へと旅立っていった。

(台詞数: 50)