最上静香
砂浜にはピアノがあった。
最上静香
目覚めるといつも夜で、そのたびに私は歩き、ピアノへと足を運ぶ。
最上静香
本来ここにあるべきではないのに、疑われるべきなのに。
最上静香
月明かりを斥ける光沢が、なぜかひどく馴染んでいた。
最上静香
温和な曲線と冷徹な線分とを、その黒に内包していた。
最上静香
だからすべて必然なのだと思うことにした。
最上静香
雲は曲線であり、うねる波もまた曲線であり。
最上静香
月の光だけが私をまっすぐ貫いた。
最上静香
磯の臭いを感じる。微かな不快感を抱く。
最上静香
風が出ているのだろう。髪がなびく。
最上静香
舞い飛ぶ海砂を意識する。夜陰に紛れてうごめく海砂。
最上静香
私は慎重にピアノの傍へと向かう。
最上静香
近づくほどに私の視界で膨張し、質量を増していく、黒い光沢。
最上静香
少しざらつく鍵盤に指を滑らせ、押し込んだ。
最上静香
その感触だけを、私は思った。
最上静香
椅子の代わりになるものを探した。ポリタンクを見つけた。
最上静香
この浜辺には、必ず適当なものが打ち上げられている。
最上静香
それをピアノの前まで運ぶ。波間の月はただ視ている。
最上静香
軽く汚れを払ってから腰かけ、鍵盤に手を添えた。
最上静香
指の動きは意識しない。必然的に動く。
最上静香
広漠たる世界にピアノが滲み出す。
最上静香
初めて聴覚を意識した。波音に気付き、さらに強い楽音に気付いた。
最上静香
滔々と流れる青い粒子を幻視する。
最上静香
実在しないと知りながら、私は手を伸ばす。
最上静香
触れることは叶わず、片手で続ける旋律は弱々しい。
最上静香
だが途切れはしない。細く儚い糸で、夜の静寂を縫うように。
最上静香
月下にたなびく白砂のように。
最上静香
波へ投影された無数の月に視られ、しかし私は奏で続けるだろう。
最上静香
そしてこの淀んだ夜を抱きしめて。
最上静香
また、眠るのだろう。
(台詞数: 30)