田中琴葉
田中琴葉は都内に住む一般女性である。
田中琴葉
今日も今日とて変わらない風景に退屈さを感じつつ、電車に乗り込む。
田中琴葉
車窓から望む景色が、まるで矢のように過ぎていく。
田中琴葉
既に見慣れた景色だ。ここから変化を読み取るとするならば、ビルの隙間から見える空くらいか。
田中琴葉
明日の予報は雨らしい。明日も同じ時間に電車に乗るが、今日とは違う空を見られる。
田中琴葉
変化の乏しい日常において、空を眺めることが唯一の癒やしとなっていた。
田中琴葉
逆を言えば、日々「変われるもの」を挙げるとするならば、それくらいしかない。
田中琴葉
気晴らしに雑誌を読んでも、音楽を聴いても、運動をしても、響かない。届かない。
田中琴葉
何も──変わってはくれない。
田中琴葉
世界は黒に近い灰色。
田中琴葉
きっと明日も、明後日も、同じ日常を辿るのだろう。
田中琴葉
そして、恐らく終着点は無明。
田中琴葉
気が付いた時には……お婆ちゃんになってたり──なんて。
田中琴葉
そんな事を考えていると、不意打ちのように電車が大きく揺れ、重心を失い、よろけてしまう。
田中琴葉
なんとか隣人の肩に体を預けたことで難は逃れたが……相手に深く寄り添う形となってしまった。
田中琴葉
それはまるで、恋人にする所作みたいで──。
田中琴葉
「ご、ごめんなさい……!」
田中琴葉
ロマンスの足音がやってくる前に、すぐさま体を引いた。それはもうすごい速さで。
所恵美
「にゃはは、いいですよ~」
田中琴葉
気さくな女性は笑顔で答えた。申し訳ないと思う反面、女性で良かったと安堵する。
所恵美
「さっきからやけに揺れますよね~。音もうるさいし、電車って大変」
田中琴葉
「え、ええ。本当に……」
田中琴葉
途端に心臓が跳ねる。
田中琴葉
決して隣人の整った顔立ちや、人並み外れたスタイルを見て、ときめきを感じたわけではない。
田中琴葉
どこか郷愁に近い感情が胸の中で溢れたような──そんな感覚。
田中琴葉
あれ? この人どこかで──。
所恵美
「?」
田中琴葉
不思議そうに私の顔を見る隣人。
所恵美
「あのさ、なんで──泣いてんの?」
田中琴葉
隣人は両手で吊革を掴み、不思議そうに私の顔を覗き込んで言った。
田中琴葉
「えっ……。え?」
田中琴葉
訳も分からず、慌てて手の甲で涙を拭う。
所恵美
「それとさ──」
田中琴葉
再び、隣人は私に何かを問おうとした。
所恵美
「なんで──アタシ──てんだろ」
田中琴葉
いや、恐らく彼女は、「彼女自身」に問うているのだろう。
田中琴葉
その──コトバは、──に、この──届────とは──なかった。
所恵美
「……! 琴葉──」
田中琴葉
──。
田中琴葉
ねえ「 」。最後に名前、呼んでくれて嬉しかったわ。
田中琴葉
せめて私が、あなたの名前を覚えていれば良かったのにね。
田中琴葉
────
田中琴葉
何も──変わってはくれない。
田中琴葉
世界は黒に近い灰色。
田中琴葉
明日も、明後日も、同じ日常を辿るのだろう。
田中琴葉
そして、恐らく終着点は──。
所恵美
「離すもんか……」
田中琴葉
意識の外側から声が聞こえる。
所恵美
「今度こそ……」
田中琴葉
怨嗟の念を込めた声が──。
(台詞数: 50)