田中琴葉
そこについた時、周りは既に祭に染まっていた。
田中琴葉
年に一度。今日この時間、この街は急に人が増えだすので、じきに動き辛くなるかもしれない。
田中琴葉
私がここを離れている間もそれは変わらなかったようで、いっそうこの胸は高鳴るというわけ。
田中琴葉
何も変わってない。人も、空も、空気さえあの頃のままなのかもしれない。
田中琴葉
とても、とてもいい気分。こんなに祭を楽しみに出来る瞬間が来るなんて。
田中琴葉
あの頃、幼かった日にこの街から受けた事を思い出す。
田中琴葉
母に手を引いてもらった祭もあった。
田中琴葉
友達と夜更けまでおしゃべりした祭があった。
田中琴葉
そして、ここから長く離れることを決意したのもいつかの今日だった。
田中琴葉
そして……帰ってきたのも祭の日。この日に帰って来れて本当に良かった。
田中琴葉
お世話になった人たちは元気かしら……なんて考えてたら不意に呼び止められて。
田中琴葉
振り向いて叫び声を上げそうになった。見覚えのありすぎる顔だったから。
田中琴葉
どうやら私はハンカチを落としていたらしく、彼は親切に知らせてくれたのね。
田中琴葉
そそくさと立ち去ろうとするところを見ると、彼は私を覚えてないみたい。
田中琴葉
少し呼び止めて世間話をしたけれど、結局思い出してもらえないまま帰っちゃった。
田中琴葉
彼はこの街に一つしかない駅の駅員さんの息子で、幼い頃はとてもお世話になっていた。
田中琴葉
あんな子どもがもう随分いい大人になっていたけれど、優しそうな目は変わってなかった。
田中琴葉
やっぱりこの街は変わってない。
田中琴葉
でも、それだけに思い出してもらえなかったのが残念だったな。
田中琴葉
まあ、あの人が大人になっているという事は、それだけ私も変わってるわけで。
田中琴葉
でも、気づかれなくて良かったこともある。去り際にくれた「綺麗な方ですね」の一言……
田中琴葉
まさか、あの人にあんな言葉をかけてもらう日が来るなんて……
田中琴葉
あの頃、同じ季節、同じ場所の同じ相手は、私に何を言っただろうか。
田中琴葉
私はちゃあんと覚えてます。
田中琴葉
そう、私はこの街で生きてきた事、全部覚えてる。変わってないことも知っている。
田中琴葉
賑わいだしてきた広場に集まる大人も子供も……この街の人たちがどんな人たちかも知っている。
田中琴葉
だって、私の街なのだから。
田中琴葉
例の時間が迫ってくるにつれて、胸の高鳴りはどんどん大きくなっていく。
田中琴葉
私は我慢出来ずに、これから起こることを大声で叫びそうだった。
田中琴葉
正しくは、私がこれから起こす事を、先に言ってしまいそうだった。
田中琴葉
だめだめ、我慢しないと。祭も全部台無しになってしまう。
田中琴葉
ああ、今日が祭の日で本当に良かった。最高の一日になりそう。
田中琴葉
この街はずっと変わってない、場所も自然もあの人も。
田中琴葉
なら、私だって何も変わってない。身長は別として。
田中琴葉
……今日が終わったら、皆は私を思い出してくれるかな?
田中琴葉
……
田中琴葉
うん、きっと大丈夫だよね。あんなことがあったんだもん。忘れようも無いよね。
田中琴葉
この街からもらった色んな事、
田中琴葉
一度は去ってしまったけれど。
田中琴葉
今度は私が返す番。
田中琴葉
と、その時。とうとう三回目の鐘がなった!
田中琴葉
その音に引き寄せられる人混みと一緒に、私は歩みを進めていった。
田中琴葉
いよいよ、待ちに待った瞬間が。
田中琴葉
変わらない物を変える瞬間が。
田中琴葉
その為に変わらなかった私の為の瞬間が……
田中琴葉
今からすることはずっと前に決まっていた。
田中琴葉
でも、その前にやっておきたいことがあって……
田中琴葉
まず、私たちのこれからに向けての挨拶を、声に出さずに街に呟いた。
田中琴葉
ただいま。
田中琴葉
私は帰って来た。
(台詞数: 50)