佐竹美奈子
「わっほい!遅れちゃう~」
佐竹美奈子
忙しかったお店のお手伝いも一段落し、時計を見た時にはすでにレッスンの時間が近づいていた
佐竹美奈子
慌てて最低限の荷物をまとめ、急いで家を飛び出――
佐竹美奈子
「ううっ、こんなときに雨だなんてついてない……」
佐竹美奈子
――ようとしたところをなんとか踵を返し、お気に入りの傘を掴む。
佐竹美奈子
「お父さーん、雨降ってるから傘立てだしておくよ!」
佐竹美奈子
厨房にいるはずの父にそう声をかけ、返事を待たずに今度こそ家を出る。
佐竹美奈子
ばしゃばしゃと道を走り出す。
佐竹美奈子
雨はすでに本降りとなり、傘では覆えない部分を濡らしていく。
佐竹美奈子
特に足もとの被害は甚大で、まだ家から数百メートルだというのに靴下まで濡らしている。
佐竹美奈子
(靴下の替えは……入れなかったよね)
佐竹美奈子
(仕方ない……痛い出費だけど途中で靴下だけでも買わないと)
佐竹美奈子
とにかく今は時間がない。
佐竹美奈子
きっと事務所のみんなは集まり、私の到着を待っているはずだ
佐竹美奈子
ただでさえ足を引っ張っている私がこれ以上迷惑をかけるわけにはいかないのだ――
佐竹美奈子
――アイドルと家の手伝いの両立は言うほど簡単ではなかった
佐竹美奈子
限られた時間でのレッスンでは満足のいく結果など出すことが出来るはずなどなく
佐竹美奈子
オーディションを受けては落ち、受けては落ちの繰り返し。
佐竹美奈子
事務所のみんなが役を貰っているのを見て、焦りを覚える。
佐竹美奈子
「わっほ~い♪良かったですね!」
佐竹美奈子
別に嘘を吐いているわけでもない。私も頑張らないと!という気持ちにもなる。
佐竹美奈子
ただ――それよりも焦燥が募るだけのことで。
佐竹美奈子
それに、私は看板娘だから……営業スマイルは得意なのだ。
佐竹美奈子
でも……今はその看板娘すら満足にできていない。
佐竹美奈子
レッスンを満足に行えない私は家に帰ってから遅くまでレッスン。
佐竹美奈子
閉店後のお店の片付けもしないといけない。
佐竹美奈子
疲れが溜まっていたのだろう……
佐竹美奈子
簡単なオーダーを間違えたり、オーダーを取っている途中に居眠りしていたり
佐竹美奈子
お客さんは良い人ばかりなので気にしないと言ってくれたけど、心配をかけてしまった……
佐竹美奈子
――これでは本末転倒だ!
佐竹美奈子
しがない看板娘……そんな私がお客さんを笑顔にする
佐竹美奈子
そこが原点だったはずなのに――
佐竹美奈子
もっともっとたくさんのお客さんを笑顔にしたい!
佐竹美奈子
それがアイドルとしての原点だったのに……それすら出来ていない
佐竹美奈子
「止めちゃおう、かな――」
佐竹美奈子
――ポツリ、と漏れた
佐竹美奈子
一度漏れてしまうと、あとはこの雨と同じ。絶え間なく降り注ぐ……前が見えなくなるくらいに
佐竹美奈子
「そうですよね、私なんかが簡単になれるようなものでもないですし」
佐竹美奈子
「歌がうまいわけでも演技がうまいわけでもないし」
佐竹美奈子
「顔なんてそこらにいるような顔ですし」
佐竹美奈子
「ちょっと身体を動かすのが好きなくらいじゃこの先やっていけないのはわかりきってます!」
佐竹美奈子
「だから――アイドルなんて止めちゃった方が良いんだ」
佐竹美奈子
――いつの間にか、私は歩みを止めていた。
佐竹美奈子
そして、一度止まってしまった私の足は動こうとしない。
佐竹美奈子
――びしょ濡れだった
佐竹美奈子
髪も、服も、トレーニングウェアが入っているはずのバッグも……
佐竹美奈子
――そして、心も
佐竹美奈子
でも、
佐竹美奈子
でも、私の目から涙は零れなかった――
(台詞数: 49)