所恵美
『いつまでも待っててもしょうがないと思うけど?』
所恵美
『ダメだよ、桃子ちゃん、そんなこと言っちゃ。じゃあ、先に帰るね、恵美さん』
所恵美
桃子と育を見送って、私は水に口を付けた。スタジオの時計は3時を指している。
所恵美
壁に寄りかかって、スマホを開く。琴葉も仕事が終わったらしい。
所恵美
一緒に帰ろう?の問いかけにいいよ!と短く返して、スマホを閉じた。
所恵美
長い針が1を指す。スタジオは静かだ。
所恵美
右手がコンビニの袋に触れ、ヒンヤリとした感触が指先から体へと伝わってくる。
所恵美
せっかくだし、昨日もらった新譜の確認をする。
所恵美
……なんで美希の曲をカバーさせるかなぁ。
所恵美
長い針が短い針を追い越した。スマホがブルリと揺れる。急いで開くと、エレナからだった。
所恵美
外は暑いヨー!気を付けてネ、と可愛いイラスト付きのメッセージ。
所恵美
……エレナですら暑いっているんだから、背広なんてもっと暑いんだろうね。
所恵美
長い針が半周した。扉は一向に開きそうにない。
所恵美
新譜も聞き過ぎて、そろそろ耳がリレーションしそう。
所恵美
コンビニの袋が水で浸ってきた。こんなことなら、クーラーボックスを返さなきゃよかった。
所恵美
袋の中身を触って、確認する。
所恵美
……うん、まだ大丈夫だ。
所恵美
長針と短針が時計に髭を作った。
所恵美
鏡に向かって、髪の毛を鼻の下に持ってきて時計の真似をする。
所恵美
『ふふっ、恵美もそんな可愛い真似をするのね』
所恵美
……この親友はいつの間に現れたのだろうか。
所恵美
『ごめんね、待たせちゃって。行きましょうか』
所恵美
私は、ちょっとの間をおいて右手を顔の前に掲げ、謝罪のポーズをとった。
所恵美
『そう?それじゃあ、先に行ってるね。そうだ、そのゴミ、捨てておこうか?』
所恵美
琴葉は水で膨れたコンビニの袋を指さした。私は、また、首を横に振った。
所恵美
『そうなの?……溶けたアイスっておいしくないと思うけどな』
所恵美
長針と短針が一直線を作る。スタジオの窓から西日が差し始めた。
所恵美
アタシはゆっくりと腰をあげ、洗面台に袋の中の水を捨て、顔を洗った。
所恵美
「桃子の言うとおり、待っててもしょうがなかったね」
所恵美
アイスのふたを開けて、スプーンを刺すと、何の抵抗もなくカップの底に到達した。
所恵美
白い液体を掬って口に入れる。ただ甘い、ベタベタしたしつこいだけの甘さが口の中に広がった。
所恵美
「ホント……ぜんぜんおいしくないや」
所恵美
蛇口をそっとひねって、二人分ンのアイスを捨てた。
所恵美
長い針は元に戻って、短い針は一歩進んだ。
所恵美
戸締りを終えて、鏡で自分の顔を確認する。
所恵美
今から行くね、と二人に連絡し、ドアノブに手をかける。
所恵美
……押してもいないドアが勝手に開いた。
所恵美
コンビニの袋のクシャリという音が廊下に響く。
所恵美
……ダメだなぁ、アタシ
所恵美
「気が利くね~」と軽口をたたき、カップアイスにスプーンを刺した。
所恵美
『甘いだろ?』
所恵美
……「知ってるよ」とスタジオの隅のごみ箱から声が聞こえる気がした。
所恵美
『このアイス、恵美も食べてみたいって言ってたからさ、一緒に食べようと思って』
所恵美
溶けたアイスは元に戻らないというのに……私の甘い、甘いアイスは溶け切ったと思ったのに……
所恵美
「このアイス、おいしいね」
所恵美
……どうしてまた、こうも簡単に
所恵美
『だろう?恵美は絶対に好きだと思ったんだよ!』
所恵美
こうも簡単に、固まってしまうのだろう……
所恵美
『おい、どうしたんだ?恵美!?歯に沁みるのか』
所恵美
溶けたままのほうが楽だと、頭ではわかっているというのに……
(台詞数: 50)